2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
鉄鋼製品を担当する商社マンにとって、市況商品で価格変動が大きくメーカーが比較的小規模で状況によっては経営面でも不安が生じる電炉メーカーの製品よりも、メーカーが大企業で経営面、品質面の不安小さく比較的安定した大口の継続取引が期待できる高炉メ…
スペインでサッカーのワールドカップが開催された1982年、その年の2月に私はマドリッドに赴任しましたが、前任者から業務引継ぎを受けたとき、その前任者が初めて手がけたスペイン鉄鋼製品の輸出商内は大きく展開したものの中東向けなどでトラブルが多…
日本人向けに仲介販売したMarbella(マルベージャ)の別荘がある同じゴルフ場開発区域内に約250戸のマンション型別荘が建てられる34,000㎡(約1万坪)の開発用地があり、それを所有するアラブ人グループからその土地を買わないかとの話がありました…
マドリッドやバルセロナでは当たり前ですが、たいていの地方都市にも中華レストランがあるのには驚かされます。これはヨーロッパの他の国でも同じです。小さな地方都市にはまず日本レストランはないので中華レストランにであうと、欧風料理に食べ疲れたとき…
昨日は台風一過の一日。朝は15メートルの北風でちっちゃいココは飛ばされそうでしたが、さいわい雨はなく、pis(ピス、おしっこ)もcaca(カカ、うんこ)もいっぱいして、近所をなんとか一回りできました。午後は陽が差して穏やかな南風に。これまでの猛暑…
私がスペインに駐在していた頃の日本の鉄鋼業はまだまだ勢い盛んな状況で、スペインから日本へ鉄鋼を輸出するなど、今でもそうですが、考えられない時代でした。鉄鋼業には大きく分けて2種類あり、高炉と呼ばれる大規模設備で鉄鉱石から一貫して鉄鋼製品ま…
私が日本からのお客さんの接待でマドリッドの海産物レストランへいったとき、Almejas al vapor con límon(アルメハス・アル・バポール・コン・リモン、蒸しあさりのレモン添え)かAlmejas a la marinera(アルメハス・ア・ラ・マリネラ、あさりの漁師風)のど…
スペインは国中どこでもワインを生産していますが、スペインの代表的な高級ワインの産地は何といってもRioja(リオハ)です。リオハワインはボルドーワインに似て色が深くボディがきいて口にまろやか、私の場合、ワインの基準はどうしてもリオハに置くことに…
マドリッドの南方、ラ・マンチャ地方に伝わる簡単な鶏料理、pollo a la manchega(ポジョ・ア・ラ・マンチェガ、チキンのラ・マンチャ風)を紹介します。ラ・マンチャ地方のCampo de Criptana(カンポ・デ・クリプターナ)という町にはセルバンテスの小説「…
週末、家族とちょっと車で出かけるのに大好きな場所の一つにマドリッド北西約45キロのel Escorial(エル・エスコリアル)というところがありました。車で約1時間、電車でも約1時間で行けました。 Felipe II(フェリーペ2世、1527−1598)が15…
ココは来月2歳になります。誕生日のお祝いでもないのですがココに新しい乳母車、いや、カートを買っちゃいました。最近でこそ犬用のカートもよく見かけるようになりましたが、最初のカートを買ったのはまだ出始めたばかりの4、5年前で、そのころは乳母車…
私たちがマドリッドで最初と最後に住んでいたpiso(ピソ、マンションのフラット)から歩いて10分もかからないところにEurobuilding(エウロブイルディング)とMelía Castilla(メリア・カスティージャ)という2つの高級ホテルがありました。因みに、私た…
スペインで海産物レストランというと、ポルトガルの北側、ガリシア地方の料理店が中心ですが、アンダルシア風の海産物レストランもあります。一般にはアンダルシア風はフライ物が中心の庶民的なイメージで、アンダルシア州のSevilla (セビージャ、セビリア)…
土日をマドリッドで過ごすお客さんの接待では郊外の観光スポットへもよく車で案内しましたが、そのときの第一候補はなんと言ってもToledo(トレード)でした。 ゲルマン民族の大移動でゴート族がイベリア半島に侵攻し西ゴート王国を建設、560年トレードを…
私たち日本人には和風洋食として馴染み深いカツですが、欧米では一部の日本レストラン以外では出会うことがありません。それでもミラノ風子牛肉のカツという、細粒パン粉をつけて揚げた肉料理に出会うことがときどきあり、これが日本のビーフカツに一番似て…
私がマドリッドへ赴任した年の前年1981年に縦3.5m、横7.8mのピカソの大作『ゲルニカ』がニューヨーク近代美術館からスペインに返還されプラド美術館別館に展示されました。第二次世界大戦の前哨戦であるスペイン内戦(Guerra civil española、1…
デンマークの首都コペンハーゲンに着くと誰もが必ず行くという有名なリトルマーメイド(人魚姫の像)とチボリ公園だけを見てすぐにスウェーデンを目指すヒッチハイクにでることにしました。観光客が多すぎて自分の旅とは違うような気がしたからです。街はず…
サンタンデールへのヒッチハイク旅行からマドリッドへ戻り、この次は北欧旅行を計画しました。というのも、ポルトガル行きの話がでる前は横浜港から当時ソ連のナホトカ港まで船で行き、そこからハバロフスクまで鉄道、そしてモスクワへは飛行機、モスクワか…
大学1年のスペイン語の授業に当時は最先端といわれたLLブースでヘッドフォンとマイクをつけた授業があり、その教材でランチにalbóndigas(肉団子)を食べるやりとりの会話の場面で、担当のスペイン人教授がアルボンディガスの「ボン」のところを爆発するよ…
サンタンデールでは空手三段のmaestro(マエストロ、師範)といっしょにカレーライスを作りました。もちろん作る主体は私でした。スペインにはカレールーは売っていないので最初にカレー粉とラードと小麦粉からカレールーをつくり、あとは簡単、じゃがいも、…
リスボンからマドリッドへ移り住み1ヶ月くらい経ったころ、地方を見てみたくなり、マドリッドの真北の海岸にある都市Santander(サンタンデール)を目指し旧カスティージャ王国の首都Valladolid(バジャドリッド)経由旅をすることにしましたが、気が弱い自…
フランス語が流暢なカサブランカ駐在員が私の後任としてリスボンにやってきて、治安がよく暮らしやすいリスボンからポルトガルとモロッコの両市場を見ることになり、私は予定通り約1年でアルバイト駐在員を終了しフリーになりました。後任者はその前年に結…
マドリッドの鉄鋼課では日本との取引は殆どなく、日本からのお客さんで直接仕事に関係する接待は少なかったのですが、仕事以外での接待のリクエストは結構頻繁にありました。リクエストがあれば平日、土日を問わず都合がつく限りすべて受けるのが基本でした…
「スペイン語との出会い」のなかでAndy WilliamsのLove story スペイン語版について触れましたが、ひとたびこの歌詞を思い出すと頭から離れなくなり、あの頃のマドリッドの情景や自分の周りで起きた出来事が次々に思い出されて止まらなくなります。当時は手に…
この土日の9月4、5日に、A級ディンギーというクラシックな2人乗りヨットの東日本大会が三浦半島のサニーサイド・マリーナであり、私は所属するチームの一員としてレースに参加しました。 このA級ディンギーという、細長い板を重ね張りして造る旧式のボー…
私たち夫婦はどちらもボーイスカウトやガールスカウトに興味があったのですが家庭の事情でその経験がなく、マドリッドでスカウトがあれば子供たちを入れてあげたいと探してみました。 嬉しいことにありました、マドリッドにもスカウトがあったのです。そして…
これまでに何度か登場したポルトガルの最重要取引先社長ジュゼ・アルフレドのことを、大阪の本社ではMr. Nina(ミスター・ニナ)と呼んでいたので私も最後まで彼のことをMr. Ninaと呼んでいましたが、実は、これは正しくなかったのです。彼の正式名はJosé Al…
♪ かわいがってくれた二人組み行っちゃったので、また、これやっちゃお! ♪ きょうは金曜日ですが、ココは「ハナキン」とでも思ってるのでしょうか、行くとこ行くとこでいつものパフォーマンス連発です。ぜんぜん疲れてなんかなくて元気いっぱい、力があり余…
スペインの一般的なレストランであればメニューに必ずある前菜ですが、「野菜が欲しいけれど生野菜のサラダはどうも」という気分のときには合うかもしれません。ガーリックがよく利いたバージンオイルに包まれ柔らかいが炒められて引き締まったモロッコイン…
R.A.C.E.(ラセ)とはReal Automóvil Club de España(レアル・アウトモビル・クルブ・デ・エスパニャ、スペイン王立自動車倶楽部)の略称で、マドリッドの新市街を南北に貫くマドリッド最大の並木道Paseo de la Castellana(パセオ・デ・ラ・カステジャーナ…