地中海の南岸、北アフリカのリビアという国 − 懐かしの味、黒オリーブのペペロンチーノ

 スペインでサッカーのワールドカップが開催された1982年、その年の2月に私はマドリッドに赴任しましたが、前任者から業務引継ぎを受けたとき、その前任者が初めて手がけたスペイン鉄鋼製品の輸出商内は大きく展開したものの中東向けなどでトラブルが多発、そのタイミングで担当者交代ということから事実上中断していました。そして、ワールドカップムード一色だった1年近くの間取引がまったくない状態が続きました。しかし、前任者が残してくれた有能なスペイン人スタッフの力をベースに必死でトライし、年末にはリビアの建設資材買付公団向けに丸棒3万トンの大口契約が成立して取引が再開したのでした。この北アフリカ産油国リビアという国、日本ではカダフィ大佐の名前くらいしか馴染みがありませんが、マドリッドの鉄鋼課にとっては最大の取引国になりました。
 スペイン鉄鋼製品の輸出取引はロンドン支店が契約の当事者となりマドリッドは実質的にロンドン鉄鋼課のスペイン分室のような形でロンドンと一体となって動き、スペイン鉄鋼メーカーとの交渉を担当するのが業務の中心でした。建設資材買付公団とは初めての取引で、代金の20%は貨物がリビアに契約通り届いてから支払われるという厳しい条件でしたが、ロンドンの鉄鋼課長はリビアは約束を守ると判断しこの条件を受け入れて成約できたのでした。マドリッドで仕事がない私の立場も配慮してくれたきわどい決断でした。結果的には、契約貨物の船積み完了後残金の20%が回収でき、次回からは船積み時100%条件に変わり大口契約が続きました。この20%後払い条件は、ドイツや英米系などの競合他社が安易に手を出せない効果をもたらし私たちに有利に働いたのです。
 2回目の契約ができたあと、船積み時100%条件になったので建設資材買付公団が事前の製品チェックなどのため検査員3名をスペインへ派遣してきました。どんな連中が来るのだろうかと身構えましたが、一人はイタリア人的な外見で遊び人風、他の二人は北アフリカの土着民のような顔つきで遊牧民風、あまり真剣に仕事をこなすタイプではない雰囲気でした。マドリッドの高級ホテルを予約し、到着した翌日ディナーを招待したいと申し出ると先方からホテル近くのアラブレストランを指定してきました。私はアラブ料理は苦手だったのですが、テーブルの周りで妖しく踊るスペイン女性のベリーダンサーは凄い美人でした。彼らは前日も来ていてダンサーとはすでに顔見知り、北アフリカ土着民のような一人がにわかに立ち上がると、当時のスペイン通貨の1,000ペセタ紙幣(約2,000円)を10枚くらい糊づけで輪にしたものを用意していてそれを踊るダンサーの首にかけました。翌日、打ち合わせたスケジュールに従い工場と港へ案内しましたが彼らは何の興味も示さず日帰りでマドリッドに戻り、結局1週間近くマドリッドにいたのですが仕事は何もせず毎晩同じアラブレストランを指定し毎回1,000ペセタ紙幣の輪を持ってきました。市内観光などを提案しても全然興味を示さず、ずっとホテルにいて酒ばかり飲んでいる様子でした。リビアは厳しい禁酒国で帰国するとアルコール類は簡単に入手できないとはいえあまりにもの酷さに呆れました。
 私は以前にも一度、サウジアラビアの支店から、重要取引先でレバシリ系(レバノン・シリア系)ベドウィンあがりの建設資材ストッキスト(在庫販売業者)のオーナー家族が休暇でスペインを訪問するので接待してほしいとの要請を受け、初めてアラブ人をマドリッドBarajas(バラハス)空港へ出迎えたことがありました。ベドウィンとはアラブの遊牧民で、一般的には人を騙したり殺すことをなんとも思わない危険な相手だと聞いていて、このときもどんな連中だろうかと身構えましたが、オーナーはふくよかで温和な顔つきをした若者、何よりも驚いたのは彼の後に続いて出てきた奥さんと子供でした。スペイン女性も負けるような派手な花柄のワンピース姿、目鼻立ちもスペイン女性とまったく区別できない白人美人で、男の子もどこにでもいるスペインの子供と同じようでした。サウジアラビアにいるときは女性は「アバーヤ」という黒いレースで身を包んでいても、一旦国際線の機内に入ると誰もが思いっきり派手な服装に着替えるのがあたりまえとのことでした。豚肉さえ注意していればスペイン人相手とまったく違わない対応で済みました。

 建設資材買付公団との初契約ができたあと、私は決済手段であった西側の有力銀行が保証するL/C(信用状)の開設を催促するためリビアの首都トリポリへ出張し、トリポリ支店の現地人スタッフ(正確にはパキスタン人の政治犯リビアへ亡命していた青年)に案内され建設資材買付公団のマネジャーに面会に行ったことがあります。因みに、このマネジャーはずっと後に他のヨーロッパ国への出張のついでにスペインにも立ち寄ったことがありました。彼はどちらかというと土着民的な顔つきでしたが、滞在中常に毅然とした態度で酒は飲まず、工場や積出港へ行っても真剣に設備や製品に関心を持ち質問をし、食事の招待も工場訪問時以外は辞退しました。この人のような誠実なイスラム教徒のテクノラートがカダフィ政権を支えているのだと実感しました。それにしても、検査員の3人とは同じリビア人といっても人種が違うようでした。
 トリポリ支店のZahid君によると、イスラム圏ではアラビア語が共通語としてある程度通じるのでリビアでもアラビア語と英語がわかれば仕事ができるとのことでした。彼は政治犯だけあってインテリで物分りがよく英語も上手い好青年でした。同じ会社の人間でも意志の疎通ができるかどうかは非常に重要です。国籍が違えばなおさらです。実際に会って行動を共にすると、関係先と常日頃どんな交渉をしているのか、どれだけ突っ込んだ話が出来ているのかがよくわかり、それが満足いくものだと信頼感がもてます。Zahid 君にしてみれば、現地では最大級の取引先向けに大口契約を取ったものの、スペイン側が契約どおりキッチリ貨物を供給できるのか不安があります。それができないと現地では大変な事態になることが想像できるからです。私はZahid 君に対し、「私に任せろ、まったく心配ない」という風な言い方ではなく、ありのままを具体的に、スペイン人の非常に有能なスタッフがいること、そして、彼の人となりから彼がどんな風にメーカー各社と付き合い、深い信頼関係を築いているかを説明してあげました。建設資材買付公団との交渉は彼に全面的に依存していましたが、一度会っただけでも互いの理解が深まる場合があり、マドリッドに帰ってからも彼とは電話で容易に意思の疎通ができるようになりました。
 Zahid 君にはトリポリ港ともう一つの仕向け先であったミスラタ港にも車で案内してもらいました。ミスラタはトリポリの南東210キロにあるリビア第二の都市、古代ローマが滅亡させたカルタゴの港町だったところで、古代ローマの遺跡がたくさんあります。ここではリビア政府から神戸製鋼所が直接還元鉄の製鉄プラントを受注し大勢の日本人が来てプラント建設工事に従事していました。鉄鉱石から鉄鋼をつくるのに、高炉で鉄鉱石と原料炭(純度が高い石炭)を反応させて一旦炭素分を多く含む銑鉄(iron)にし、それを転炉で脱炭・精錬して鋼(steel)にする方式が一般的ですが、直接還元鉄とは、直接還元炉で原料炭を使わず天然ガスなどを燃料に酸化鉄である鉄鉱石を還元、つまり酸素をとってFe分純度が高いペレットにし、これを電気炉で精錬して鋼にするという新しい方式でした。この直接還元鉄プラントはこの数年後に完成するのですが、プラント完成からしばらくして建設資材買付公団からの丸棒引き合いが皆無になるとはこの時点では想像できませんでした。丸棒をつくる程度なら、経済的には直接還元鉄プラントのような大規模設備でなく電炉メーカーのような簡単で安い設備で充分だったのですが、その原料となるスクラップ(鉄くず)はイギリスとアメリカのような(老)大国でないと供給余力がないので、先進国を敵に回すリビアとして政治的にはやむをえないことだったのでしょう。
 トリポリでの宿泊は外見上リビアとしては驚くほど立派な5つ星の高級ホテルでした。と言うのは、私の前任者がその1年ほど前トリポリに出張したときこのホテルは建設中でまだ完成しておらず、トリポリ港に接岸した船のホテルに泊まったところ、バスに入り黄色のタオルで顔を拭くと顔がまっ黄色になったという話を聞いていたからです。しかし、館内のインテリア、部屋の仕様すべて一流でも何か様子が違いました。お酒がないのです。レストランのメニューはアラブ料理が中心で迷いましたが、スパゲッティがあったので注文しました。ペペロンチーノにカットした黒オリーブの実だけが黒くゴミのように入ったものでしたが、これが食べてみるとシンプルながらオリーブオイルの味と香りが実に素晴らしく、黒オリーブともよく調和してこの上なく旨いスパゲッティで、リビアでこんなものが食べれるかと感動したくらいです。メインは無難なところで子羊肉のシシカバブーだったと思いますが、今でも忘れられないのは黒オリーブのぺペロンチーノです。5つ星ホテルのレストランとして最高級のバージンオイルを使っていたのかも知れません。
 私のスパゲッティとの出会いは地下鉄銀座線虎ノ門駅近くのハングリータイガーという小さなイタリアンレストランでした。私にとってスパゲッティのイメージはどろっとしたミートソースやナポリタンでどちらかというと嫌いな食べ物でしたが、新入社員のとき独身寮の同期生が、「絶対に旨いから騙されたと思ってついて来い」、と連れられ嫌々入った店でした。ボンゴーレ(あさり)が一番の売り物のその店で、彼がいきなり大盛2人前注文したのには閉口したのですが、初めてスパゲッティがこんなに旨いものかと知る大発見でした。大盛り皿の底にオイルがいっぱい残りましたが、実にサラッとして、パンにこれをつけて食べるのもすこぶる旨いものでした。カウンターの前が調理場で泡駄々しく料理をしていましたが、オリーブオイルの缶がたくさん並べられているのを見つけ、地方出身の私たちには当時まだ珍しかったオリーブオイルをふんだんに使っているのがポイントだと同期生は見抜いて自慢しました。その後、私は何度もハングリータイガーに通い、料理のポイントを、『大量のバージンオイル、唐辛子と多めのにんにく、高温調理、柔らかめに茹でた太いスパゲッティ麺、白ワインと塩、大きな剥き身のあさり』、だと学び、自宅でできるだけハングリータイガーの出来ばえに近づけるべくボンゴーレ作りに励みました。実は、「バージンオイルと唐辛子とにんにく」はスペイン料理の味のベースでもあったのです。その後、20年以上経ってからですがハングリータイガーはオーナーやシェフが替わったのか、残念なことにバージンオイルでなくバターを使うようになり、バターの臭いが鼻につくので私は二度と行かなくなりました。なお、ハングリータイガーでは剥き身のあさりを使っていたので、スペインへ赴任するに際し、スペインでは剥き身は売ってそうでないので、確か道具街まで探しに行き二枚貝を開く調理具を調達するほどでしたが、その後、貝殻に入った活きたあさりをそのまま使った方があさりの味と旨みがよくでることがわかり今は剥き身を使わなくなりました。


《Receta レシピ》
Espaguetis de peperoncino con aceitunas negras:
黒オリーブのペペロンチーノ

 スパゲッティ麺はデュラム100%の太めのもの(1.9mmか1.7mm)をほんの少し柔らかめに茹で、多め・高温のバージンオイルでしっかり引き締めるやりかた。大きな鍋に十分な量の水と塩をいれて熱し沸騰してから麺を入れる。茹で終り麺の水を切ったら鍋にバージンオイルを少し入れ互いにくっつかないよう麺の表面をオイルで覆う。
 黒オリーブは種抜きのものを使用。先に1個を4つくらいに輪切りして必要量を準備しておく。
 フライパンに多めのバージンオイルを入れ強火で熱し、オイルを焼かないよう常に注意しながら千切りにしたにんにくを入れ黄金色になったら唐辛子を入れ、よくタイミングを見計らってできるだけ茹でたてのスパゲッティ麺を入れオイルとよく馴染ませ、輪切りにした黒オリーブを加え白ワインか料理酒を入れ、塩をふって味を調節し白ワインと麺がよく馴染んだら出来上がり。
 常に強火で調理するが、材料をタイミングよく事前準備してオイルや唐辛子、にんにくが焦げないよう注意してよく炒める。

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♪ リビアってちょっとへんなくに、でもくろオリーブスパゲッティはたべたいな ♪

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