北欧へ行く!

 サンタンデールへのヒッチハイク旅行からマドリッドへ戻り、この次は北欧旅行を計画しました。というのも、ポルトガル行きの話がでる前は横浜港から当時ソ連のナホトカ港まで船で行き、そこからハバロフスクまで鉄道、そしてモスクワへは飛行機、モスクワからヘルシンキが鉄道というルートで北欧へ行くのが10万円位で一番安くヨーロッパへ行く方法でした。そして、賃金が西欧で一番高いスエーデンかデンマークで働いてからスペインを目指す計画でした。賃金が一番高いということ自体が、なぜそれが成り立っているのかその背景を知ることが大きな魅力でした。原点は北欧起点だったのです。実際には西欧で一番賃金が低いポルトガルで一応商社の駐在員という最高の条件でスタートが切れたわけですがどうしてももう一つの憧れの北欧を見ないわけには行かなかったのです。大阪の実家に2週間のユーレイルパスの手配を頼み、スペイン滞在が3ヶ月になったころそのユーレイルパスが届きました。スペインでのヒッチハイク経験から北欧でもヒッチハイクで旅する予定でしたがその間は距離がありすぎるので列車を利用することにしたのです。
 いざ、北欧に向けて出発ですが、当初はその手前にあるフランス、ベルギー、オランダ、ドイツも主要都市だけは見ていくつもりでした。ユーレイルパスが届いて数日後パリ行きの列車に乗り込みました。夏休みシーズンでしたがファーストクラスのコンパートメントなので寝台車でなくても快適でした。実はこのとき悪いことを聞きかじり、ユーレイルパスの日付欄にスペイン人の数字の書き方を真似て鉛筆で最初の乗車日として実際の乗車日の前日とその2週間後の日付を予め記入しました。これは、初めてユーレイルパスを使うとき、車掌か切符売り場係員がボールペンで記入するものです。おわかりでしょうか。鉛筆書きですから消しゴムで消して日付を書き直す魂胆なのです。
 フランス国境に近い次の停車駅San Sebastian(サン・セバスティアン)まで30分くらいのところでコンパートメントから通路にでると、二十歳くらいの女性がひとりで窓の外を眺めていたが、私に気づきこちらを向いて微笑みかけてきました。私は、「¡Hola!(オラ、やあ)」と声をかけ、「¿A dónde vas?(ア・ドンデ・バス、どこへ行くの)」 と切りだしました。濃い栗毛色の髪で顔の彫りがあまり深くなく日本にいても外人とは思えないような、すごい美人ではないが感じのいい娘でした。マドリッドの美容師学校へ行き美容院で働き始めたところ夏休みで実家があるサン・セバスティアンへ帰るところでした。私が北欧旅行するところだというと、なんて素晴らしいと驚きながら、彼女はマドリッドはあまり好きでないがサン・セバスティアンはすごくいいところだと言っていろいろと説明してくれました。彼女は実家の家族が夕食を作って待ってくれているがそれまでの時間なら街を案内してくれるというのでパリ行きを中断し、サン・セバスティアンで途中下車することにしました。ユーレイルパスは期間内なら何度でも乗り降りできるので急行券のキャンセルはまったく問題なかったのです。駅の近くのpensión(ペンシオン、安宿)で1泊の手続きをして荷物を置き、私は彼女のあまり大きくない旅行かばんを持って二人で夕暮れ時のサン・セバスチアンの市内観光に出かけました。La Concha(ラ・コンチャ、貝殻)と呼ばれる綺麗なビーチでなぜか知り合ったスペイン語が少しできる若いオランダ人カップルの旅行者といっしょになり、彼女が案内してくれたのが以前少し触れた50軒以上のバルが密集する区画でした。夏季休暇シーズンの夕暮れ時で通りも店内も混雑していている中、4人でわいわいがやがや7、8軒梯子して回り、酔っ払ってドサクサにオランダ人カップルに真似て彼女とキスしたりしてほんとうに楽しいひと時でした。彼女の実家のピソがある建物の大きな古びた扉の玄関まで送って行きそこで彼女と別れました。別れ際、彼女からマドリッドでの連絡先のメモをもらったのですが、その後の北欧旅行中メモをなくしてしまいマドリッドに戻っても彼女とは二度と会うことができなくなりました。
 翌日、駅近くに天井から数え切れないほどの生ハムのモモを吊り下げた大きなバルがあり、このとき生まれて初めてuna ración (ウナ・ラシオン、一人前)のjamón ibérico de bellota(ハモン・イベリコ・デ・ベジョータ、どんぐり飼育のイベリコ豚の生ハム=最高級生ハム)を食べ、生ビールを飲み、ビールのつまみにこんなに旨いものはないと思いましたが、予想外の値段の高さには少し驚きました。バルで遅い昼食を済ませたあと、サン・セバスティアン駅から再度パリ行きの列車に乗ると、隣がスペイン側の国境駅Irún(イルン)で国境を越えるとフランス側のHendaye(アンダーユ)に入りますが、レールの幅がスペインとフランスで違うのでアンダーユに夜8時ころ着いて3時間くらい停車しました。車両はそのままで車軸の幅を変更したようです。どちらの幅が広いかというと意外にスペインなのです。フランス人は、「スペイン女は太っているからだ」、と負け惜しみのようなことを言っていたようですが。夜の8時ころでしたが長い停車時間なので街を少し見物してみようと駅の外へ出ました。すると私の前にさっと一台の乗用車が止まり、3、40代の男が中から、「乗らないかい。街を案内しよう。」、と英語で声をかけてきました。停車時間待ちの旅行者だと分かったのでしょう。私は即座にこいつはホモだと確信しましたが、時間があるのでちょっと案内だけしてもらおうと車に乗り込みました。男は街の中を通過すると丘の上へ車を走らせ人気のない森林のようなところで車を止めました。「ここからの夜景が綺麗んだ。」といって車を降りると、案の定すぐに、「身体に触っていいか。」ときました。私は、すかさず英語で、「Never you can! Get me back to the station immediately...otherwise...(とんでもない。即座に駅まで引き返せ...さもないと...)」、と言って空手ができる真似をしました。男はしょぼくれた顔をして駅へ戻りました。実は、これは2回目。ホモには空手の格好が効いた経験から味をしめていたのです。それは、サンタンデールで夜の帰り道、近道なので人通りが全然ない大きな公園を通っていこうとしたとき、急に一人の男が暗闇から出てきて横にくっついて歩いてきました。身近に空手三段の強い友達がいると強気になるもの。なかなか離れないので、相手の正面に向き返り、空手ができる真似をして、「¡Fuera!(うせろ。)」、とひとこと言って睨みつけてやると、男は慌てて逃げ去りました。
 翌朝、無事パリに着きました。パリ見物しようと駅のインフォメーションへ行き、私はフランス語は殆ど分からないので英語で話しました。ところが、インフォメーションのくせにフランス語で英語はわからないと言ってフランス語しか話さないのです。本当に英語が話せないのか、東洋人だと思って横柄に対応しているのか、いずれにせよ職責を果たせない・果たさないパリのインフォメーションに理性を超えて腹が立ち、また、すっかり幻滅してパリ見物は取りやめ、ベルギー、オランダ、ドイツ行きもやめてその日の午後、パリ北駅で憧れの北欧、コペンハーゲン行きの列車に乗りました。
 今日はサン・セバスチアンのバルに因んでスペインのバルには必ずあるスペイン料理の定番、tortilla(トルティージャ)のレシピを紹介します。tortillla de patatas(トルティージャ・デ・パタタス、じゃがいものトルティージャ)がより正確な名称ですが単にtortilllaと言った場合tortillla de patatasのことを指します。じゃがいも以外に、たまねぎ、にんにく、アスパラ、生ハムなどいろんなものを入れるtortilllaがありますが、我が家の基本は、スペイン駐在期間中ずっと週に3日パートタイムで掃除・洗濯のお手伝いあるいは夜の子守りに来てくれうちの子供たちがほんとうによくなついたスペイン人女性がいつも作ってくれたじゃがいもと卵だけのtortilllaです。因みに、tortilla francesa(トルティージャ・フランセサ)は単純なプレーン・オムレツのことを指します。

《Receta レシピ》
Tortilla (de patatas):
じゃがいもの卵焼きスペイン風

 じゃがいもは皮を剥き1mmくらいの厚さに切りしっかり塩をふる。塩が多すぎてもダメだが少なくても味が締まらない。スライサーを使うと早くできる。フライパンに多めにバージンオイルをいれ弱火でゆっくり長くじゃがいもを炒める。焦げ付かないよう時々かき混ぜる。充分に炒めあがったら蓋でフライパンを抑えながら斜めにして余分な油を捨て、別途、ボールに入れよくかき混ぜ軽く塩をふった卵の中に入れる。フライパンに新しいバージンオイルを少しいれ、中火で熱してからボールの卵とじゃがいもを流し込み、中強火で固まる手前までしっかりかき混ぜ、形を整えてから蓋またはフライパンのサイズより大きな平皿をかぶせ一気に反転させて皿の上に中身を乗せそのまま滑らせてフライパンに戻す。フライパンを軽く振りながら反対面が固まれば出来上がり。すぐに新しい平皿に移し、少し冷めてから包丁で6〜8等分に切る。バルではよく薄く切ったバケットの上に乗せ楊枝を刺してだす。