マドリッドの北西45キロ、フェリーペ2世の離宮エル・エスコリアル

 週末、家族とちょっと車で出かけるのに大好きな場所の一つにマドリッド北西約45キロのel Escorial(エル・エスコリアル)というところがありました。車で約1時間、電車でも約1時間で行けました。
 Felipe II(フェリーペ2世、1527−1598)が1556年即位、翌年フランス軍との戦いに大勝利し、その戦勝日8月10日の守護聖人San Lorenzo(サン・ロレンソ)の加護があったと信じ、この聖者に捧げるためにReal sitio de San Lorenzo de El Escorial(サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル王立モニュメント)の建設を命じました。これはpalacio(王宮)、basílica(聖堂)とmonasterio(修道院)を複合した壮大な建物で、エル・エスコリアルという名称は「岩屑の山」という意味を持ち、とてつもない大きさの建物の建設計画に、「さぞかし資材の石が山のようにあるだろう」、ということで呼ばれた愛称です。因みに、monasterioは男僧の修道院で尼僧の修道院はconventoです。
1571年、フェリーペ2世のスペイン艦隊を主力とするローマ教皇・スペイン・ヴェネツィア連合艦隊ギリシアレパント沖海戦』イスラム勢力のオスマン帝国艦隊を破り地中海の制海権を握ったときを境にヨーロッパが東洋から世界の主導権を奪還し現在に至る西洋の時代が始まったとされています。それまでのヨーロッパは中世の暗黒時代にありイスラムなど東洋文明が西洋を凌駕していたのです。世界の主導権を奪還した西洋文明はアジア・アフリカ諸国をことごとく植民地化していきましたが、明治維新で欧米列強による植民地化を免れた日本は、1905年日露戦争日本海海戦でロシア艦隊を破って世界中を驚かせるとともに植民地の人々の心に希望の芽を植え付け、太平洋戦争で西洋の最強国アメリカに対抗、敗れたあとも驚異の復興と高度成長でアジア諸国を勇気づけ、現在はまさに世界の主導権がアジアに移る黎明期のごとき状況です。その意味で私は以前から世界の主導権の流れを変えた日本海海戦レパント沖海戦の世界史的な重要性に注目し、「1571“イゴナイ”海を支配する」フェリーペ2世に特別な関心がありました。
 フェリーペ2世の父親はスペイン国王カルロス1世ですが母親はポルトガル王女だったイサベルです。結婚も初婚は従妹のポルトガル王女マリア・マヌエラでポルトガル王室との関係深く、1580年には当時世界を二分したスペインとポルトガル両国の国王となりその広大な植民地をも支配します。このときが政治的にスペインの絶頂期です。1580年は日本では戦国時代の終盤、信長が本能寺で光秀に討たれる2年前です。九州のキリシタン大名大友宗麟大村純忠有馬晴信が4名の少年を中心とする天正の遣欧少年使節を派遣、マカオ、ゴアを経由、ローマへ行く前に、1584年8月10日サン・ロレンソの日、リスボンに寄航、11月25日にエル・エスコリアルでフェリーペ2世に謁見しましたが、この年にエル・エスコリアルが完成したのでした。
 1561年Toledo(トレード)から王宮をマドリッドに移したのもフェリーペ2世で、以後スペインの首都マドリッドが確立しますが、1588年スペインの無敵艦隊が、海賊あがりの副司令官Francis Drake(フランシス・ドレイク)が活躍したイギリス艦隊に破れ、この頃からスペインが絶頂期を過ぎて衰退が始まり、フェリーペ2世は晩年を殆どエル・エスコリアルで修道僧さながらに過ごし政務を執ったといわれています。因みに、無敵艦隊とは、世界最強のスペイン艦隊を破ったイギリス人が皮肉って呼んだ呼称で、スペインではGrande y Felicísima Armada(グランデ・イ・フェリシシマ・アルマダ、偉大で最高の祝福を受けた艦隊)と呼ばれていました。
 スペインの全盛期を実現し世界の植民地を支配する国王ということでフェリーペ2世にはギンギラギンの印象を持ちやすいのですが、実の姿は敬虔なキリスト教徒で、エル・エスコリアルは、王の要求で華美さを嫌い簡素で厳格な古典的建築様式で建てられ、王家の離宮と歴代王の霊廟を合体させたものとなっています。円形の礼拝堂のなかにある霊廟はフェリーペ2世の両親、カルロス1世とイサベル王妃以降殆どすべての歴代の王とその母、皇太后の亡骸が安置されていて、観光客も実際に棺を目にすることができます。
 その石台の上からフェリーペ2世がエル・エスコリアルの建設工事(1563−1584)を眺めにマドリッドからよくやってきたと言われるla silla de Felipe II(ラ・シジャ・デ・フェリーペ・セグンド、フェリーペ2世の椅子)という観光スポットがあり、その真偽は不明ですが、そこからは確かにエル・エスコリアルの全景が一望できます。また、エル・エスコリアルに隣接してLa Herrería Club de Golf(ラ・エレリア・クルブ・デ・ゴルフ)という18ホールのゴルフ場があり、前方真正面のエル・エスコリアルに向かってティーショットするのはなかなか醍醐味があります。コースの良し悪しは判りませんが眺望は間違いなく素晴らしいです。という私はゴルフ歴はあるのですが腕は全然ダメで、一度夫婦でこのゴルフ場のプロについたことがあり、しばらく土日にマドリッドから通いましたが、遠いのと意欲の欠如で長続きせず中途半端に終わりました。しかし、このゴルフ場のクラブハウス内レストランは落ち着いた雰囲気で、ジャケットと革靴があれば是非お勧めです。メニューに格別の特徴があった記憶はありませんが雰囲気のよさで何でも美味しく味わえ、私のお気に入りはデザートのmilhojas(ミロハス、千枚の葉=ミルフィーユ)でした。











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