マドリッドから初めてのヒッチハイク

 リスボンからマドリッドへ移り住み1ヶ月くらい経ったころ、地方を見てみたくなり、マドリッドの真北の海岸にある都市Santander(サンタンデール)を目指し旧カスティージャ王国の首都Valladolid(バジャドリッド)経由旅をすることにしましたが、気が弱い自分自身を乗り越える意味で初めてのヒッチハイクに挑戦することにしました。北を目指したのは直前の年末年始にリスボンを起点に南スペインのアンダルシアからマドリッドまで相棒カルロスの車で旅行していたからです。
 朝早起きし、酸味が強いチョリソソーセージのサンドイッチをバルで買ってValladolidへ通じるコルーニャ街道の入り口までバスで行き、道路わきに立って恐る恐る親指を上げました。スペイン語ヒッチハイクすることを、viajar de dedo(指で旅行する)といいます。私以外にも何人かヒッチハイカーが立っていましたが30分経っても誰も乗せてもらえません。小一時間してようやく1台のトラックがブレーキを踏んで20メートルほど先に止まってくれました。私は全速力でトラックへ駆け寄りトラックの高い座席に上りました。初めてのヒッチハイク「スタート成功」です。座席につくと目的地を告げ自己紹介とそして旅の目的を説明し、スペイン語会話訓練のためにも必死で話題を探して話し続けました。最初の目的地Valladolidまで200キロ足らずですが一発で行けることはまずなく5〜6台乗り継いだと思います。乗用車は殆ど止まってくれません。たいていはトラックです。それでもValladolidには意外と早くついたので市内観光を足早に済ませあと250キロの最終目的地Santanderを目指すことにしました。4〜5台目の車でやっとSantanderの近くを通るとのことでラッキーだったのですが、これが日本では見たことがないような超大型のケミカルタンクを引っ張るトレーラー車で運転手はフランス人。言葉が殆ど通じずスペイン語会話の訓練にならない。そのうち日が沈み辺りは真っ暗に。暗闇が広がりしばらくして突然、意図的なのか間違えたのかトレーラー車が反対車線に入ったのです。夜遅くて対向車が来なかったから助かりましたが、随分経ってから何とか元の車線に戻ったとき命拾いをした思いがしました。植木の中央分離帯が延々と続きなかなかもと元の車線に戻れなかったのです。言葉が通じないので良く分からないけれどこの飄々とした感じのフランス人運転手、気が触れているようにも見えました。Santanderまで数キロというところで、分かれ道だというので下ろされたのは夜の11時を過ぎていてそこから集落までなんとか標識を頼りに歩いていきました。村に着くと真夜中というのになぜか変な勇気が出てPension(安価な宿泊施設)の扉をたたき厭な顔をされながらも料金を交渉し一泊の宿を得て熟睡しました。一日のヒッチハイクだけでずいぶん強引な性格に変身したようでした。
 翌朝Santanderまではすぐの距離だったので簡単に街までたどり着き、初めてのヒッチハイクは2日かかりましたが450キロ達成しました。街にはオシャレな喫茶店のような店があり朝食に入ってみると、ちょっと不良っぽい女の子たちのグループがたむろしていたのですが、私の方をみて、日本人かと聞くと、私と同じような若い日本人が住んでいると教えてくれました。今の時間なら近くの「Sansiro」(三四郎?)というバルにいるからと言って私を連れて行ってくれました。目が鋭くがっちりしていかにも強そうな彼は、私と同い年で東京の有名大学を3年で休学しSantanderで空手を教えているということで、街外れにあるスペイン人が経営する空手道場のすぐ横の古びた建物の一室に住んでいました。老婦人が所有するpiso(ピソ、マンションのフラット)の一室を借りていたのですが、概観は崩れかけている感じがする古い建物なのに部屋の中は綺麗に飾られ手入れが行き届いているのが分かりました。彼が、「特に行く当てがないならしばらくここにいたら。空手を教えてやるから。」、というので、少しでも空手を身につけようと思い取りあえずここに居候することにしました。老婦人は、「日本人大好き、スペインのママと思ってください」、とまで言って喜んでくれました。彼よりスペイン語が上手い私の方をもっと気に入ってくれたようでした。小額でしたが部屋代としていくらか渡したと思います。
 彼は空手三段の堂々たる黒帯。翌日、早速彼と道場へ行って練習に加わりました。彼は、「maestro(マエストロ、師範)のアミーゴ」だから私は無料と宣言したので道場のスペイン人オーナーは厭な顔をしましたが気にせず練習を始めたところ、これまでの不摂生がたたり5分と経たないうちにギックリ腰になり動けなくなりました。2、3日は立ち上がれないような状態が続き、空手は諦めることに。
 Santanderの東約100キロに100万人都市のBilbao(ビルバオ)があり、2、3歳年上でしたが彼のように空手を教えているひととその夫人、それと柔道を教えている20代後半のひとがいて、夫人が作る料理をいただきに集まるということで私もいっしょに電車でBilbaoへ行きました。空手や柔道を身につけると海外でこのような活動の方法があるのだと感心しましたが、Bilbaoの空手のmaestroは私のポルトガルでの経歴を聞き、「空手を教えるだけじゃダメで将来は貿易取引を勉強して事業を始める」、と中期的な計画の話をしたのが印象的でした。スペインでずっと暮らすつもりなんだと思いました。Bilbaoには大学1年のとき2、3度手紙を出してそのまま途絶えていたペンパルの女性がいたので、折角来たのだからと住所を頼りに彼女を訪ねました。同封された写真を見てちょっと私が理想としていたスペイン美人のタイプじゃないなと思い文通が続かなかったのですが。訪ね当てたときは残念ながら彼女は不在でしたが家族の方にお話をし、のちにMadrid の私の住所に彼女からの手紙が届きました。
 そんなことでSantanderには約1ヶ月いて、こんどは鉄道でMadridまで帰ることにしましたが、ギックリ腰で少しでも空手を身につけることができなかったのが一番の心残りでした。
★★★★★ Dado español(スペイン式ダイスゲーム) ★★★★★
 Santanderで最初に入ったオシャレな喫茶店、ここでたむろしていたちょっと不良っぽい男女グループがいつも Dado(ダド、ダイス)でゲームをやっていて、私もそのやり方を教えてもらいました。それ以来、私はこのダイスゲームをDado español と呼んでいろんな機会にいろんなところで伝授してきました。サイコロ5個と皮製のコップを使うもので、人数は何人でもいいのですが仮に3人として、下表のような枠目をつくり増す。合計10回を各回3度までサイコロを5個全部または2度目以降は一部を置いて(生かせて)残りを振ることができます。そして1からのRepókerまでの空いているところを埋めていきます。数字欄は同じ数字が出た合計数、ただし、4個同じだとPóker、5個同じだとRepókerですが、初めの段階で5や6の大きな数字が4つ並ぶと後でもPókerが出ると思えば5×4=20、あるいは6×4=24を数字欄5あるいは数字欄6の得点として記入します。心配ならPóker欄に30点を得点として記入します。さあ、おわかりでしょうか。こうして1からRepókerまでのすべての欄の合計得点で競います。終盤近くなり記入できる欄がなくなると残っているいずれか一つの欄に×印を記入し、その欄の得点はゼロとなります。
−−−得点----------A君-----B君-----C君----Remarcas(備考)
1-------1×n -------------------------------------出た目の個数nを掛けた得点を記入。
2-------2×n ------------------------------------- −”−
3-------3×n ------------------------------------- −”−
4-------4×n ------------------------------------- −”−
5-------5×n ------------------------------------- −”−
6-------6×n ------------------------------------- −”−
Ful------20---------------------------------------フル、フルハウス(1ペア+3カード)のこと
Póker--30---------------------------------------ポケル、ポーカー(4カード)のこと
Escalera(*)35又は40------------------------エスカレラ、ストレート(連続)のこと
Repóker50--------------------------------------レポケル、5カードのこと
Total
(*)EscarelaにはEscalera pequeña:1から5のストレートと、Escalera grande:2から6のストレートがあり、得点はそれぞれ35点、40点となります。