憧れのスペインへ

 フランス語が流暢なカサブランカ駐在員が私の後任としてリスボンにやってきて、治安がよく暮らしやすいリスボンからポルトガルとモロッコの両市場を見ることになり、私は予定通り約1年でアルバイト駐在員を終了しフリーになりました。後任者はその前年に結婚し新婦がカサブランカへきて同居、お子さんが誕生したと言う事情がありました。
 そして私はマドリッドへ移り住んだのですが、実はその少し前の年末年始にスペイン旅行をしていたのです。日本では年末年始が長い休暇になることを話すと、私の相棒のようになっていたリスボンっ子で二倍くらい年上のカルロスは、自分のフィアットで割り勘だけれどスペイン旅行をしようと提案してきました。カルロスは毎朝私のオフィスへやってきて、大阪の本社から送られてくる数多の商品カタログを基にジュゼ・アルフレド゙のビジネスにつながらないか可能性を探っていましたが、残念ながら最後まで実現するものはなかったのです。ジュゼ・アルフレドに雇われているカルロスは、基本的には暢気な性格ですが、成果がでないことで焦りがあり、リスボンに来てからもいつも私には保護者のように優しく接していたジュゼ・アルフレドに対する複雑な気持ちもあり、いっしょにいる時間が極めて長い二人は時には感情をぶつけ合うこともありました。カルロスはイギリスでの生活経験があり英語が話せたので仕事上での私との会話は最後まで英語でしたが、感情的になったときはポルトガル語でした。感情をさらけ出す彼との付き合いを通じ、私は、国籍や人種が違っても人間はみな同じで理解しあえるものだと感じました。
 私たち二人は彼の小さなフィアットでスペイン国境沿いのポルトガル南端まで行き、グアディアナ河口の町Vila Realからスペイン・アンダルシア州の国境の町Ayamonteに小さなフェリーで渡りました。私にとって憧れのスペインに初めて入国したのでした。スペインに入り片側1車線のハイウエイを車で走ると、先ず、気がつくのがトラック運転手のマナーでした。追い越しできる状態になると左側のウインカーを点滅させて知らせてくれるのです。隣国のポルトガルではなかったことで、ポルトガル人のカルロスが「スペインではこうなんだ。」、と変に自慢げに説明してくれました。ポルトガル語で中国人のことをchinês(シネーシュ)と言いますが、これが、「死ね〜!」といってるように聞こえ、特に地方へ行くと彼らにとって東洋人は珍しく、日本人も中国人も同じなので至る所からこの呼び声が聞こえてきて嫌な思いをすることがよくありました。ところが、スペインに入るとみんながjaponés(ハポネス、日本人)と呼んでくれるのでした。スペインの方が、経済が急成長中の日本の存在感があったのです。とりわけ、アンダルシアの州都Sevilla(セビージャ、セビリア)に泊まる予定でまだ明るい夕刻、その手前の都市Huelva(ウェルバ)の市街地が始まってすぐのcafé-bar(カフェ・バル、カフェとバル兼用の店)に入ったときのことでした、左右に何枚も並んだガラス窓にズラリと十代半ばの女の子たちが20人位張り付いて中にいる私を覗き込んでいたのです。スペインでは夕方みんなで連れ添って散歩する習慣があります。私たちが中に入るのを見ていたのでしょう。café-barを出ると、彼女たちは近づいてきて口々に、「¿Japonés? 日本人か」、「¿De dónde vienes? どこから来たの」、「¡Qué guapo! カッコイイ」とか言って話しかけてきました。何と親日的で好意的なところでしょう。ポルトガルで「死ね〜!」と呼ばれていたのと大違い。スペイン人女性はこの年齢から二十歳くらいまでが一番かわいい盛りです。すごく華やいだひとときを経験し、スペインの第一印象は最高、スペインが好きになる予感がしました。
 セビリアでは夜バルでたむろしていた学生風の男女グル−プに話しかけようとしましたがポルトガル語が引っかかりスペイン語が全然出てこず諦めました。そして何もなく一泊して憧れのマドリッドへ向かいました。マドリッドでは繁華街のGran via通り裏の小さなホテルに2泊しましたが、リスボンと比較してマドリッドの大きさに驚きました。マドリッドは大都会でした。その夜はカルロスの知り合いのスペイン人宅で夕食をご馳走になりました。メイン料理は角切りにした子牛のヒレ肉(solomillo de ternera)を短いステンレス串に刺して溶かしたチーズが入った鍋に浸けて食べるスイス料理のfondeu(フォンドュー)でした。フォンドューはこのときが初めてでしたが、肉のこんな旨い食べ方があるのだと感心しました。翌日、このスペイン人夫婦は私たちをローマの水道橋で有名な、マドリッドの北北西87キロのSegovia(セゴビア)へ案内してくれました。リスボンではあまり縁がないと感じていた雪が積もっていたのが印象的でした。
 マドリッドを出発する朝、止めていた彼のフィアットが駐車違反で撤去されていたというハプニングがありましたが、車を取り返し一路リスボンへの帰路に着きました。