Sopa de ajo castellana(ソパ・デ・アホ・カステジャーナ、カスティージャ風ガーリックスープ)


 略してsopa castellanaと呼ばれるこのajo(アホ、にんにく)のスープは、材料と名称からして最もスペイン的なスープの一つです。バージンオイルでにんにくをよく炒めるのは大抵のスペイン料理の味のベースですが、このスープにはスペインらしい味覚のpimentón dulce(甘口パプリカ)も加えられ、そして前日に食べ残して硬くなったパンが使われるのはいかにもスペインの家庭料理らしいところです。因みに、スペイン語でajo(アホ)はにんにくのことですが、vaca(バカ)は牝牛、toro(トロ)は牡牛です。
 スペイン語のことはespañolとも言いますが、スペインやスペイン語圏の多くではcastellanoと呼ばれます。これは、8世紀初頭、イスラム教徒がイベリア半島に侵攻して以来その支配に対抗してキリスト教諸国が延々とreconquista(レコンキスタ、国土回復運動)を展開する中その先頭に立ち、遂に1492年、最後のイスラム勢力であったグラナダ王国を降伏させてイベリア半島からイスラム勢力を一掃し近代スペインを統一国家にしたCastilla (カスティージャ)王国に由来するものです。偶然にも1492年はla reina Isabel de Castilla(カスティージャ女王イサベル)がスポンサーとなってジェノヴァ出身のColón(コロン、コロンブス)がアメリカ大陸の西インド諸島を発見した年です。そのときからスペインは新大陸の富を背景に黄金の時代を迎えますが、中世の暗黒時代を経て再び西洋文明が東洋文明を凌駕したのは、それから80年後の1571年10月、スペイン国王Felipe Ⅱ(フェリーぺ2世)のスペイン艦隊を主力とする教皇・スペイン・ヴェネツィア連合艦隊ギリシアレパント沖でイスラム勢力のオスマン帝国艦隊を破り地中海の制海権を握ったときとされています。この海戦を契機に西洋文明が世界を支配するサイクルが始まったのです。レパント沖海戦は、小説don Quijote de la Mancha(ラ・マンチャの男ドン・キホーテ)の著者Cervantes(セルバンテス)が24歳で従軍して被弾し左腕の自由を失ったことでも有名です。

 そんなわけで、現代スペイン語はカスティージャ語を基本にしたものですが、元々はイベリア半島中北部高原の小さな地域で話されていたローカルな言語が王国の膨張により標準語となったもので特殊な一面も備えています。例えば、「j」の発音は南欧のどの地域の言葉も英語の「j」と同じ発音ですがスペイン語では日本語の「ハ」行に近い特殊な発音です。また、「v」の発音は日本人には都合のいい「b」と同じ発音です。
 さて、もうお分かりでしょう。Sopa castellanaはスペインを代表するスープと言うことになります。



ドン・キホーテサンチョ・パンサ


《Receta レシピ》
Sopa de ajo castellana
カスティージャ風ガーリックスープ:
 本式には、若鳥、白ネギ、ニンジン、セロリを何時間も煮てから最後に濾してつくるcaldo(カルド、出汁)から始めないといけないが、簡単にするにはMaggiブイヨンとYoukiガラスープで出汁をつくる。
 鍋か深めのフライパンにバージンオイルを入れ中火で熱した中に包丁の横面でつぶしたにんにくを入れ焼き目がついたら一口大にちぎった前日の残りパン(硬めのフランスパンが最適)をまとめてその上にいれオイルを吸わせながらかき混ぜる。パンにも焼き目がついたらパプリカ(甘口)を振りかけ、少しかき混ぜてから別鍋で熱した出汁を注ぎ中火で10分程度煮る。最後に塩加減を確認して調整したら、別途、杯数分の卵の白身を黄身から分離したものを入れてさっとかき混ぜ白身が固まったら火を切る。先ほどの黄身を各一個スープ皿の中央に置き塩を振りその上から包むようにスープをいれる。皿に盛りつけたスープの表面に更にパプリカ(甘口)をしっかりと振りかけてもいい。