スペインの一流ブランドLoewe &Lladro、そして新興のZara

 スペインの一流ブランドというと、何と言っても、日本でもかなり有名になりました革製品などの「Loeweロエベ)」と、陶器人形の「Lladró(ジャドロ、リャドロ)」があります。
 Loewe は、19世紀創業の、1905年アルフォンソ13世のとき王室御用達となった革工房で、1996年、ルイ・ヴィトンに買収され現在その傘下に入っています。私がマドリッドに赴任した数年間は第二次オイルショック後の後遺症でかなり深刻な不況下にあり、私の会社にも破格の金額でLoewe買収の話が持ち込まれたことがありました。東京本社は当時この分野での目利きが不在だったのか真剣な検討を加えることなく見送りとなったようです。一流ブランドを手にする大変なチャンスだったのですが、当時はビジネスとしてのブランド価値そのものに対する認識や正当な評価が少なくとも私の会社では存在しなかったのかも知れません。フランスやイタリアあるいはアメリカではなく、スペインオリジンということも見送りとなった大きな要因であったのでしょう。
 スペインでも取引先のキーマンにお歳暮のようにクリスマスギフトを贈る慣習があります。スペイン鉄鋼メーカーとの取引規模が大きくなった頃からクルスマスギフトのことを考え始めましたが、闘牛やフラメンコを嫌っていた私の有能な部下のバスク人スタッフがスペイン製品の中で評価したのはLoeweだけであり、また、私自身Loeweは大変気に入っていましたのでマドリッドの鉄鋼課で、日本人客を大勢Loeweに案内している現状や今後会社としてクリスマスギフト用などで大いにLoeweを利用すると説明してセラーノ通りのLoewe本店と話をつけ大幅なディスカウントを取り付けた上で、重要なキーマンを対象に毎年クリスマスギフトにLoewe製品を贈りました。因みに、彼は独立後、Loeweに対する思い入れが強かったのか、不動産事業も手がけ、不動産証券化の手法を利用してLoewe 本店が入居しているセラーノ通りに面した一等地の土地建物を取得しそのビルのオーナーになっていました。それは私が日本に帰国した後10年振りに再会したときのことですが、そのとき彼はLoeweが賃料値上げになかなか応じないとこぼしていました。
 一方、Lladróは、Juan, José,VicenteのLladró三兄弟が1953年、バレンシア州のAlmácera(アルマセラ)という小さな町に、当初は陶器のジョッキやマグカップの製造会社として設立した比較的新しい企業で、その3年後から陶器の人形を製作し始め、現在は同じバレンシア州Tabernes Blanques(タベルネス・ブランケス)に本社工場を持ち、手作りの芸術的な陶器人形で世界的に有名です。私はスペイン村プロジェクト関係者を案内してタベルネス・ブランケスの本社工場を訪問し三兄弟の誰かは忘れましたがジャドロ氏に会ったことがあります。同氏は創業オーナーらしく余裕ある面持ちで私たちのスペイン村プロジェクトの話を興味深く聞いてくれました。Lladró社は、1986年に日本の商社と共同で東京に販売会社を設立し日本での販売にも力を入れているので、高価なものですが大きい作品でも企業の本社ビルの新築祝いや一般の転居祝いなどによく使われるようになってきていると思います。
 私はLladró陶器人形のさっぱりした雰囲気が好きでスペインにいる間少しずつ買い増し、大きな作品も含め20点くらい自宅のリビングに置いていましたが、日本へ本帰国するときは船便の梱包が大きくなるので大変嵩張りました。日本の家は小さくて地震もあるので置く場所に困り、贈り物に使ったりもしましたが、今でも10点くらい残っています。
 Zara(サラ)は若者衣料が中心なので、日本では特に若い人の間ではLoeweより知名度が高いかもしれません。たまたま、マドリッドで私が通った会社のオフィスビルの隣にZaraが入居していて、当時は子供服が中心ですごくオシャレなデザインなのに価格が驚くほど安いので注目していました。1975年ガリシア地方の観光都市La Coruña(ラ・コルーニャ)で最初の店舗を開いたZaraは、子供は成長するのですぐにサイズが合わなくなること、そしてよく汚すことから親としてはできるだけ安価に素敵なデザインのものを何枚も手軽に買いたいというニーズを掴み、世の中に出回っている新しいオシャレなデザインをどんどんコピーして安価に新製品を市場に送り出すビジネスモデルで成功したと聞きました。
 少し話がそれますが、コスタ・デル・ソルの素晴らしいマリーナPuerto Banús(プエルト・バヌス)に隣接し、マルベージャ市街から行って手前側にビーチに面した1万坪以上の広い開発用地がありました。私はプエルト・バヌスを訪れるたびにこの敷地にリゾート別荘の開発ができたら何と素晴らしいことかと夢を膨らませました。規模が大きすぎて私の会社ではとても社内許可が取れそうにない物件でしたので、海外事業に積極的であった日本の大手ゼネコンの社長一向をマルベージャに案内したときにこの開発用地を紹介したこともあります。あるときこの開発用地に行ってみると、雑草が刈られ一部掘り起こされたような状態になっていたのでこれから開発が始まると思い、調べてみると、嘗て大蔵大臣を務めたことがあるバスク人がオーナー社長の会社が開発することがわかりました。私は早速コンタクトを取り元大蔵大臣の社長や担当者に会って開発の内容を聞くと、それまで見たことがないほど豪華な仕様で素晴らしいものでした。建物の外壁、壁、床、屋上がすべて白色の大理石張り、しかも敷地内の道路にも同じ大理石をレンガ状にカットして敷くとのことでした。床厚は遮音と断熱のため住居用としては最大の60cm、窓はすべて二重ガラスの真空遮音断熱仕様、ベランダは5、6メートル張り出し、その端は小さな花壇で囲まれ、不在でも定期的に肥料入りの水が散布される仕組みになっていました。また、敷地全体のデザインも、大きなプールにゆったりとした広いガーデンが会員制倶楽部のように造形されていました。彼らは、日本人向けに販売実績がある私たちを日本人向けの販売代理店として興味を示しました。
  この開発会社社長との初めての面談のとき同席しその後現地の総責任者となったJoséと私は親しく付き合うようになり、マルベージャやマドリッドで何度も会合し、よくいっしょに食事もしました。あるときJoséから、「Zaraのオーナーが日本進出を考えていて適当なパートナーを探していると言うから君のことを紹介した。是非至急会ってくれ。」、と話を持ちかけられました。Joséはガリシア地方出身でZaraのオーナーとは親戚のように親しい間柄とのことでした。Zaraは海外では殆どローカルに近いポルトガルにしか進出していないというので、Joséのことだから彼の方からZaraのオーナーに日本進出の話を持ちかけたかもしれないと思いました。それでも、私はZaraには以前から興味を持っていたので非常に面白い話と思い、Zaraのオーナーに会いに行く前にまず東京本社の繊維部に打診しました。私はマドリッドで不動産を始めるとき、なんでも新しいことが扱える新規事業開発室というのをつくりその室長となったので、ミラノで開かれた繊維部門の社内会議にオブザーバー参加したことがあり繊維部門ともコンタクトがありました。しかし、残念ながら、東京の反応はいつものように否定的なものでした。一度Zaraのオーナーに会い、粘り強く東京と交渉することもできたのですが、このときは、Joséと個人的にも親しかっただけに期待を持たせて後で梯子を外すようなことはしたくなく諦めてしまいました。当時のZaraポルトガルに最初の海外店を出店した程度のローカルな新興企業でしたが、いまや欧米、アジア、アフリカに数千店舗を展開する一大チェーンの世界企業に成長しました。チャンスというのは物にしないと後から後悔しても仕方がないものです。


♪ そう、チャンスはいかさないとねぇー、ボクなんか、ちょっとでもすきがあると、すかさずおいたするよ ♪










♪ 下のビションフリーゼをクリックしてね! ♪
にほんブログ村 犬ブログ ビションフリーゼへ
にほんブログ村