北スペインの港町Bermeoのバルで出会った不思議な親指の効能

 バブル最盛期のころ、日本にテーマパークの「スペイン村」を作るプロジェクトがあり、会社としてそのプロジェクトに協力することになり、私はマドリッド駐在として日本からいろいろな目的や形態・レベルでやってくる人たちを一手に引き受けました。例えば、マドリッド郊外Palacio Real de el Pardo(パラシオ・レアール・デ・エル・パルド、エル・パルド宮)でのフアン・カルロス国王表敬や工業大臣(観光担当)との面会、バルセロナでカタルニア州知事との面談、セビージャにあるアンダルシア州政府との会合やAlhambra(アランブラアルハンブラ)宮殿とグラナダ市長・市議会への訪問、マドリッドの高級ホテルでスペイン政府関係者を招待してのカクテルパーティ開催、スペインにあるバルセロナマジョルカの両スペイン村訪問とその責任者との面談、バレンシアにあるLladró(ジャドロ、リャドロ)本社工場訪問、コスタ・デル・ソルや北部スペインのウォータフロント施設や開発の視察など多岐に亘る分野の各種の手配や案内を担当しました。

 その一環で、スペイン村プロジェクトのソフト部分開発を請け負った専門分野のプロ集団と事務局要員合わせて20名くらいが北部スペインの港町を観て回りたいとの要望があり、マドリッドから列車でサン・セバスティアンまで行き、着いた日はサン・セバスティアンとその周辺を観て回った後、夕方にはもちろん私の若き日の思い出の場所でもある50軒以上のバルが密集するbarrio(バリオ、地区)へ案内しました。翌日からはサン・セバスチアンで大型バスをチャーターしサンタンデールまで約200キロの海岸線を3日かけて視察する予定でした。サン・セバスティアンをでると、私が出張で来たとき昼の食事によく立ち寄った居心地の良い海産物レストランがある漁港の町Guetaria(ゲタリア)を視察。次に、ドイツ空軍による無差別爆撃を描いたピカソの絵で有名なGuernica(ゲルニカ)へ向かいましたが、道の途中でバスのエンジンが故障、何時間も待たされた後、交換のバスがきて旅程を再開しました。スペインといえどもバスの故障は滅多にないのですが、日本から大勢のプロ集団が来ているときに限って起こるのですね。故障後の対応のまずさが相当悪い印象を与えたようでした。
 ゲルニカからビルバオへ向かう途中小さな港町Bermeo(ベルメオ)に立ち寄りバスから降りてプロ集団の人たちの動きに気を配りながらぶらぶらと見物したあと1軒のバルに入ったときのことでした。当時はバル1軒しかない寂れた何もない港でした。暑くてのどが渇いていたのでカウンターの前の椅子に座りnaranja natural(ナランハ・ナトゥラール、オレンジの生ジュース)をダブルで頼みました。すると、カウンターの中から私のほうを見ていた20代後半くらいの若者が、「日本人か?」、と言って話しかけてきて、自分は受け継げなかったけれど自分の家系は歴代特異な能力を受け継いでいて、隣でカフェを入れている親父とその横にいる彼の姉にその能力が備わっているとの話でした。特異な能力とは、ほくろに親指の腹を押し付け擦ると何ヶ月かのちにほくろが取れてなくなるとのことで、こんな風に紹介されていると言って、カラー写真入りの記事が掲載されている雑誌いくつかを見せてくれました。そのとき、私の顔の右側生え際にあった薄くて小さいほくろがカミソリで毎朝剃り続けたことから直径7、8ミリに大きくなっていました。彼はそのほくろが気になっていたようで、悪性だと皮膚がんになることがあるなどと説明し、親父の親指を試してみるかといいました。私はこういうことは信じやすい性質で、やってもらって何の不利益もないようだから親指治療をお願いしました。親父さんはカフェを作る手を休め、手短に私の顔のほくろに親指の腹を当て何度か擦りつけました。特異な能力を社会のために役立てているとのことで、無料でした。
 4ヶ月くらいたった朝、私はすでに帰国していて、そのことは東京の自宅の洗面所で起こりました。ほくろの黒い皮がとれて跡形もなくなったのです。その数週間くらい前からムズムズと取れそうな感じはしていたのですが。不思議なことがあるものです。スペインへ行ったら一度お礼にベルメオのバルへ行きたいと思っていますが、未だ実現していません。




♪ ムム、ふしぎなことがあるもんだなぁ〜 ♪
♪ ボクはいろじろだからひつようないけど、ほくろとりは ♪










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