マドリッドCampo de las Naciones(カンポ・デ・ラス・ナシオネス)開発

 マドリッドBarajas(バラハス)空港に隣接した地区に、マドリッド市がプロモートするCampo de las Naciones(カンポ・デ・ラス・ナシオネス)というオフィスビル用地などの開発プロジェクトがありました。バラハス空港は福岡空港のように都心に近い利便性の高い空港ですが、空港とマドリッド市街地の間にまだ広大な遊休地が存在し、その中の160ヘクタールの敷地に現スペイン国王の名を取ったJuan Carlos I(フアン・カルロス一世)という、マドリッドでもCasa de Campo(カサ・デ・カンポ)に次ぐ2番目の大きさとなる大公園の建設も進められていました(1992年開園)。地下鉄8号線の建設もスタートし、完成すれば空港ターミナル駅から都心のNuevos Ministerios(ヌエボス・ミニステリオス)駅まで12分で行け、空港ターミナル駅の隣がカンポ・デ・ラス・ナシオネス駅が予定されていました(1998年全線完成)。幕張メッセのようなIFEMAという国際見本市会場が隣接してすでに開業し、大規模な国際会議場も建設予定で(1993年完成)、丁度、千葉の幕張開発に似た開発案件でしたが、カンポ・デ・ラス・ナシオネスの方が空港に隣接しているという優位性がありました。因みに、千葉県知事ほか幕張開発関係視察団一行がマドリッドにきたとき、私は頼まれてマドリッド市の開発公社、カンポ・デ・ラス・ナシオネス会社社長とのミーティングをアレンジしたことがあります。
 このカンポ・デ・ラス・ナシオネスでオフィスビルを建設するための用地を取得するコンペ(競争入札)については、私は、マドリッドに事務所を置いていた日系大手ゼネコンの所長から話を聞きました。彼らの事務所にはスペイン人建築士がいて、私はその建築士からプロジェクトの内容について詳細に説明を受け、素晴らしい案件だと思いました。そのときはマルベージャの別荘開発用地を売却したあとで次の案件を探していたのですが、規模が大きく、大手ゼネコンとの共同案件といえども社内稟議を突破するのは相当ハードルが高いと思われました。その大手ゼネコンに所属していたスペイン人建築士は、建築に明るいだけでなく市役所や市の開発公社に多くの人脈を持つ優秀で実力がある人物でした。所長は意欲満点でしたがブラジルに駐在経験があるというだけでスペイン語があまりわからず、競争入札、不動産そして建築がらみの複雑な話はすべて私がスペイン人建築士から聞きだして理解し、会社の顧問弁護士や公認会計士に確認しながら案件を詰めていく作業となりました。大手ゼネコンはロンドン支店長が実質的な権限をもっていたので、所長やスペイン人建築士とともにロンドン支店へ行き、事実上私が案件説明をすることが何度かありました。私の会社ではあり得ないことでしたが、私が彼らに代わり案件説明をしても、共同事業予定者ということで必ずしもおかしくはなかったのです。
 案件が煮詰まり、コンペ参加のための社内稟議手続きを両社でそれぞれ同時にスタートしたのですが、私の会社は見送りとなりました。一部英語圏アメリカ西海岸やハワイでスタートしていたけれども、会社として不動産開発の経験は少なく、非常に保守的な考え方ですが、スペインでは言葉の問題がある上、スペイン法自体に殆ど通じていない状況がネックとなりました。ということは、規模が充分に小さいか、社内の雰囲気が余程変わらない限りいつまで経ってもスペインで不動産開発事業案件はやれないということでした。
 一方、大手ゼネコンのロンドン支店はすでにロンドンで大規模なオフィスビル開発事業をいくつか手がけていたことから、本件についてもやる気になり、単独でコンペに参加し用地を取得しました。カンポ・デ・ラス・ナシオネスにオフィスビルが完成するのは私が帰国したあとでしたが、その後、日本ではバブル崩壊、スペインでも一時的に不動産市況が下向き、大手ゼネコンはそのオフィスビルを売却して損失をだしたと聞きました。




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