ゴヤとその代表作「カルロス4世の家族」

 ベラスケスの没後1世紀ののち、14歳でサラゴサの画家に弟子入りし本格的に絵画の世界に入ったゴヤは、28歳でマドリッドに出ますが10年以上王立タペストリー工場でtapiz(タピス、壁掛け用装飾織物)の下絵描きをして生計を立て、1786年、40歳で国王カルロス3世付の宮廷画家となります。若き26歳でフェリーペ4世付の宮廷画家となったベラスケスがコンベルソ(ユダヤ教徒からキリスト教徒に転向したもの)の家系に悩んだのとは別の、庶民としての様々な人生体験を経てから上りついた地位だったと想われます。
 日本におけるゴヤ研究の第一人者、堀田善衛さんの著作「ゴヤ」は全4巻の大作で、私は第一巻「ゴヤ・スペイン・光と影」を読み、これはゴヤサラゴサ南東44キロのFuendetodos(フエンデトドス)という「みんなの泉」があったという意味なのか「泉がすべて」でそれしかないという意味の小さな村で生まれてから首都マドリッドで宮廷画家になるまでの生涯と作品を取り扱った部分ですが、その人間研究の手法の迫力と洞察の凄さに圧倒されました。圧倒されすぎたというか第一巻で充分に満足感を得てしまい、第二巻から第四巻までを将来の楽しみに取ってあるような状態です。実は、堀田善衛氏の実弟とは知り合いで、とはいえ私より人生の大先輩ですが、実弟氏は京大卒だから慶応卒の善衛氏より勉強ができたのだと思うと、「ゴヤ」を読んで以来、実弟氏の発言の一つ一つが同様の凄い洞察力から出たのかも知れないと同氏に対する見方が少し変わってしまいました。
 1792年にゴヤは悪い病気で聴力を失いますが、彼の代表作、「カルロス4世の家族」、「裸のマハ」、「着衣のマハ」、「1808年5月2日の蜂起」、「マドリッド1808年5月3日、ピオ王子の丘の銃殺」、そしてマドリッド郊外の「聾者の家」と呼ばれた別荘のサロンや食堂を飾るためにゴヤが描いた奇妙なpinturas negras(ピントゥーラス・ネグラス、黒い絵)14作などはすべて聴力を失ってからの作品です。

 西洋で初めて赤裸々に全裸の女性を絵に描いたという理由でゴヤが何度か裁判所に呼ばれたという「裸のマハ」とその言い訳のように作成された「着衣のマハ」がプラド美術館の1室に対比して展示されているのは興味を引かれます。また、ナポレオン軍の侵攻と支配に抵抗して市民が蜂起し、そして大勢が銃殺になった歴史的事件に対するスペイン人の心情を表現した、「1808年5月2日の蜂起」と「マドリッド1808年5月3日、ピオ王子の丘の銃殺」も大作で迫力があり見応えがあります。このあとスペインを制圧したフランス軍に対しスペイン市民がゲリラ活動を始めますが、これが史上初のゲリラ戦といわれています。実は、「ナポレオン軍のスペイン侵攻とそれに対するスペイン人民のゲリラ戦」が私の卒論テーマでした。卒業単位をとるためだけの大した内容ではありませんが。

 しかし、私にとってゴヤの作品の中で一番興味深いのは「カルロス4世の家族」です。マドリッドの南約50キロに、私たち家族も休みにはよく車でピクニックに出かけたAranjuez(アランフェス)という町がありますが、この町にタホ川に面した庭園が美しいフェリーペ2世以来のスペイン王室の離宮があります。当時王族一家はこの離宮に住んでいて、ゴヤマドリッドからアランフェスへ何度も通い10点もの人物単体の肖像画を習作してから280×336cmの大作「カルロス4世の家族」を作り上げたのですが、どうしても注目してしまうのは、実質的な王室の支配者といわれ絵の中央に配された王妃María Luisa de Parma(マリア・ルイサ・デ・パルマ)の顔がいかにも意地悪で狡賢そうに描かれていることです。愚鈍と揶揄されたカルロス4世はどちらかというと凛々しく描かれています。ゴヤはベラスケスとは違い自らのパトロンであるスペイン王室の実権者を美化することなくあそこまで醜く描くような腹のすわった人物であったのかと感心しました。
 ベラスケスがコンベルソ(ユダヤ教徒からキリスト教徒に転向したもの)の家系であった恨みというか自分自身の葛藤を思い切りぶつけ、キリスト教の最高位にある教皇インノケンティウス10世の人物を洞察しその本質をあぶりだして教皇肖像画を写実的に狡猾な一老人に仕上げても、肖像画が本人に似ているからといってベラスケスは罰せられることはなかったのと同じように、ゴヤは写実を画家の護られた特権と認識し、醜い権力者に対する心情を絵に表現する勇気を持っていたに違いないと思いました。しかし、本人王妃マリア・ルイサが出来栄えに大変満足したという説があることを知り、画家だけでなく描かれた対象にも眼を向けたのですが、この絵が1801年頃に完成していますから1751年12月9日生まれのマリア・ルイサは48歳か49歳のときでやはり年の割には相当老けた醜いお婆ちゃんに描かれています。また、彼女はマヌエル・デ・ゴドイと長年にわたる愛人関係にあったとか、浮気が絶えなかったという話も定説になっています。そんな王妃像ではなぜあの出来栄えに満足したのか理解できません。単なる浮気する女性ならもっと綺麗に描いてもらいたいと考えるのが自然です。これは単なる想像ですが、もし、彼女が絵の出来栄えに満足したという説が正しいとすれば、彼女が10人以上実子を産んだという事実に着目すると、当時の国内外情勢で脅かされかねない王位を護り維持するため、あるいは自分の子供達の将来の安泰を願い、彼女は頼りない夫の国王カルロス4世に代わり実権を握る強力な女王を演技する人生を選択し、ゴヤに対してもできるだけ狡賢く強権の女王に描くことを指示したという仮説も成り立つのではないかと思います。そうでないと、「カルロス4世の家族」に描かれたマリア・ルイサの醜さはやはりあまりにも不自然ではないでしょうか。

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