地中海入口の軍事的要衝、セウタとジブラルタル

 日本ではあまり知られていないのですが、地中海の入口のアフリカ大陸側にCeuta(セウタ)という小さなスペイン領の都市があります。セウタは地中海の入口に位置し古代から軍事上の要衝として重視され、歴史的には、1415年にポルトガルのエンリク航海王子がイスラム勢力からこの要塞都市を奪取しましたが、1580年、スペイン国王フェリーペ2世がポルトガル王位をも継承したときスペイン領となり、ポルトガル独立後もそのままスペイン領として現在に至っています。1571年のレパント沖海戦でイスラム艦隊を撃退して地中海の制海権をヨーロッパ側に取り戻したフェリーペ2世としては当然の権利と考えたのでしょうが。
 実は私、ポルトガル人のリスボンでの相棒カルロスに連れられ一度セウタに行ったことがあります。年末年始を利用しての初めてのスペイン旅行のとき、日程の記憶が定かでないのですが、恐らく、カルロスの小さなフィアットリスボンから南岸の国境の川を渡ってスペインに入りセビージャで1泊した後、まっすぐ南下しジブラルタル半島の対岸の都市アルヘシラスで車は駐車場に停めてフェリーに乗りました。初めてのアフリカ大陸が夕暮れ近い空の下に雄大な姿で迫ってきたのが非常に印層的でした。しかし、セウタは騒然として汚い格好のモロッコ人ばかりが眼につき、泊まった安宿も悪臭がして冬の一夜を何とかしのぐ程度のもので、あまりいい印象はありません。
 何故ポルトガル人のカルロスがわざわざセウタを目的地に入れたのか不思議でしたが、いま考えてみると、当時のポルトガルはアフリカ大陸の東西にモザンビクとアンゴラという豊富な天然資源を埋蔵する広大な殖民地を保有し、これを基に将来の大発展を夢見ていたところがあり、アフリカの植民地というものを近場で手軽にいけるセウタを通じて体験してみたかったものと思います。セウタが元々はポルトガルの植民地であったことを考えれば尚更です。私は、スペインのイメージを代表するアンダルシア、そしてその州都セビージャには興味はあるものの、一番の目的は首都マドリッドでしたので、わざわざ南回りに大きく迂回したコースとなったのはカルロスのセウタへの強い憧れがあったからでした。
 地中海の玄関口としてアフリカ大陸側のセウタに対しヨーロッパ大陸側にGibraltar(ジブラルタル)があります。当然にジブラルタルはセウタに劣らず古代からの軍事的に重要な要衝ですが、オーストリア、イギリス、オランダ、フランスが介入したスペイン王位継承戦争の終戦処理でイギリスの一人勝ちとなったユトレヒト条約(1713年)においてジブラルタルがイギリス領となり現在に至っています。モロッコがあるアフリカ側にスペインはセウタを領有し、自国内にあるジブラルタルは300年近くイギリスの領有となっているのは歴史の皮肉でしょうか。

【ココのつぶやき】

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