横浜指路教会(Yokohama Shiloh Church)

 現在、横浜市中区尾上町にある指路教会は、明治維新の8年前の1859年に夫妻で来日したアメリカ人宣教医ジェームズ・カーティス・ヘボン氏により、1874年にアメリカ人宣教師ヘンリー・ルーミス氏を初代牧師として当初関内の外人居留地に設立されましたが、関東大震災で倒壊、横浜大空襲で全焼するなど幾多の災難に遭遇しながら、現在地、太田町、住吉町を経て現在地に戻り再建されました。
 指路(シロ)とは、ヘボン氏の母教会Shiloh Churchの名に因んで名付けられましたが、その意味は旧約聖書における「平和をもたらす者」、すなわちメシアを意味すると同時に聖なる町の意味があります。
 ところで、ヘボンというと、「ヘボン式ローマ字」を思い浮かべますが、実は、この方式はヘボン氏の発明ではなく16世紀にポルトガル人が始めたものでした。そして明治時代に羅馬字会という団体がより正確な発音表記に改良した方式をヘボン氏が「和英語林集成」という辞書のローマ字表記に採用したことでヘボン式ローマ字と呼ばれるようになりました。
 そして、このヘボンさんの呼び方ですが、英文ではHepburn、つまり、あの今は亡き大女優オードリー・ヘップバーンのヘップバーンなのです。
 因みに、ヘボンは「ヘボン塾」でも知られていますが、福沢諭吉と交友があり、のちに長州征討と戊辰戦争長州藩を指揮し明治維新の立役者の一人となった大村益次郎が、ヘボン氏が来日して間もない頃に幕府委託学生として数人の優秀な若侍といっしょに同氏から英語を学びますが、その後、攘夷運動が激しくなり英語塾は閉鎖され、ヘボン氏自身が診療と和英辞典の制作に多忙であったため、ヘボン夫人のクララさんが英語を教えたのがヘボン塾の始まりです。当初は女子のための塾でしたが、男子にも教えるようになり、のちの総理大臣高橋是清三井物産の初代社長となる益田孝らも塾生となりました。
 人数が増えるにつれ、女子塾が独立しますが、このとき女子塾生を率いて独立したのが女性宣教師M.E.キダー女史で、この洋学塾がのちのフェリス女学院となります。一方、残った男子塾はのちに他のプロテスタント学校といっしょになり明治学院となります。ヘボン氏は明治学院の初代総理となりました。







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