スペイン内戦の勝者、フランシスコ・フランコ将軍

 1929年10月24日(木曜日)ニューヨークの株価暴落で始まった世界大恐慌の最中の1931年、スペインでは第二共和政が成立しボルボン王朝(フランスブルボン王朝と同系)が倒れアルフォンソ13世は退位させられて国外追放となります(無血革命)。そして1936年に左翼勢力中心の人民戦線内閣が誕生し社会主義的政策を強力に実行、教会財産の没収やブルジョワ弾圧に反発する勢力との間で対立が激化、外国勢力も加わりスペインを二分する内戦に発展しました。私が学生の頃はla Guerra civil españolaを直訳してスペイン市民戦争と呼ばれていましたが、最近ではスペイン内乱、より正しくは、政権が交代したのでスペイン内戦と呼ばれています。
 このときガリシア地方el Ferrol(エル・フェロール)出身の根っからの軍人で将軍の地位にあったFrancisco Franco(フランシスコ・フランコ)は保守勢力の支持を得て反乱軍の一部を主導し、フランスやソ連の支援を受けた人民戦線政府に対しドイツとイタリアの支援を得て1939年3月これを倒し内戦を終了させます。
 この年代に注意してください。スペイン内戦終了の半年後の1939年9月、ドイツのポーランド侵攻第二次世界大戦が始まりますが、スペイン内戦はまさに欧州そして世界の多くの国を巻き込んだ世界大戦争の前哨戦でした。しかし、フランコは内戦終了後権力を掌握して独裁者となりますが、内戦による国内の荒廃を理由にヒトラーからの要求を最後まで頑として撥ね付け、第二次世界大戦に国民が巻き込まれることから守りました。
 フランコは1975年83歳で没するまで独裁者としてスペインの権力の中枢に居続けますが、スペインには議会制民主主義が成功しなかった経験から1969年に前国王アルフォンソ13世の孫フアン・カルロスを後継者に指名します。そして、1975年にフランコが死ぬとフアン・カルロス1世が即位しボルボン王朝が復活しますが、この国王はフランコ流の独裁政治を受け継がず政治の民主化を推し進め急速に西欧型の議会制民主主義と立憲君主制の国家への転換を図ります。
 私がマドリッドへ赴任する約1年前の1981年2月、王権復活を求める軍部右派勢力により議会が占拠され内閣閣僚と議員350人が人質に取られる事件が発生しますが、フアン・カルロス国王は軍部右派勢力の呼びかけを拒否したことで首謀者は投降してクーデターが未遂に終わり、国民の国王に対する信頼が不動のものとなります。
 日本ではあまり知られていないのですが、スペインの近代史にはこのような輝かしい歴史がありました。いま、私たちの隣国で、国名とは異なり民主化が遅れ王国のように親から子への権力継承が三代にわたり行われようとしていますが、スペイン国王のような英断が成功するようなことがあれば地域の安全保障は飛躍的に改善されるのではなんて夢のようなことを思ったりします。


【ココの世界】
 元町のドッグケアハウスへココを一時預かりにつれてきました。ココは置いていかれるのにモモちゃんといっしょだからわけもわからず大喜びです。


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