レコンキスタの向こう側、イスラム世界の栄華盛衰 [グラナダ編]

 バグダッドを首都とするアッバース王朝イスラム帝国の王は「信徒たちの長」を意味する「カリフ」でしたが、後ウマイヤ王朝の王は「司令官」「総督」を意味する「アミール」を名乗りました。912年に即位した第8代アミール、アブド・アッラフマーン3世は宿敵アッバース王朝に対抗してカリフを名乗り、キリスト教徒のレコンキスタ勢力を撃退してトレードを奪還、イベリア半島の大部分を支配下に入れるだけでなく北アフリカにまで勢力を拡大、10世紀後半に後ウマイヤ王朝は全盛期を迎えますが、11世紀に入るとカリフ位の擁立合戦など内紛が続くなかカスティージャ王国とアラゴン王国の攻勢を受け1031年に滅亡、イベリア半島イスラム勢力圏はタイファと呼ばれる諸侯たちによる群雄割拠の状態に陥ります。レコンキスタ時代の英雄El Cid(1045年?−1099年)が活躍したのはちょうどこのイスラム勢力が小国に分裂している時期でした。
 イベリア半島では、キリスト教勢力の拡大が進行する中、イスラム勢力は小国に分裂した群雄割拠の状態で、そんな中、最後に華を咲かせたのがアルハンブラ宮殿を建設したナスル王朝グラナダ王国(1237年−1492年)でした。13世紀前半には殆どすべてのイスラム小国はカスティージャ王国に征服され、グラナダ王国イベリア半島におけるイスラム勢力最後の牙城でしたが、カスティージャ王国に貢納を強いられる立場で建国当初から独立的地位は厳しい状況でした。しかし、グラナダ王国は巧みな外交とジェノバなどとの地中海交易による富で250年間以上存続し、後ウマイヤ王朝時代に建てられたアルカサバ(城塞)に隣接してアルハンブラ宮殿が21人の歴代王により順次拡張・造営され、特に、14世紀後半、ムハンマド5世の治世下で大規模に増改築されました。ここでもコルドバのメスキータと同様、カルロス1世(神聖ローマ帝国カール5世)が「カルロス5世の宮殿」と呼ばれる外側が四角形で円形の中庭を持つルネッサンス様式の外壁とバロック様式の装飾を取り入れたキリスト教文化の建築物を造らせています。 
 私がマドリッドから家族を連れ車でアンダルシア旅行をし、初めてアルハンブラに着いたとき、車を出るといきなり物乞いのジプシー少年たちに取り囲まれ厭な気分にさせられましたが、アルハンブラ宮殿に入り、アルカサバからの眺望を眼にしてイスラムの人たちの栄華の時代を想うとそんな悪いイメージは吹き飛び、幾何学模様の精巧な装飾とそのなかで少し意外なライオン像を円形に配置した噴水がある「ライオンの中庭」、庭園や離宮ヘネラリフェを彩る糸杉の芸術など必ず一度は来ないといけないと思わせる素晴らしさに魅せられました。
 私はその後マルベージャでの別荘販売やスペイン村プロジェクトの関係あるいはプライベートで相当な回数アルハンブラを訪れることになりましたが、何度訪れても新たな発見があり飽きさせない魅力がありました。マラガからグラナダに通じる国道の両側にはひまわり畑が延々と続きスペインらしさを感じさせます。グラナダのすぐ横にSierra nevada(シエラ・ネバダ、「雪が積もった山脈」の意味)という夏でもスキーができる高山があり、すぐ下のビーチではトップレスのお姉さんたちが日光浴をするコントラストはグラナダならではです。
 アルハンブラ宮殿の城壁の中にSan Francisco(サン・フランシスコ)という何ヶ月も前から予約しないと泊まれない国営観光ホテル、パラドールがありますが、私はスペイン村プロジェクトの関係で友達のように親しくなったグラナダ観光局長に頼み一度泊まったことがあります。彼は、1泊だけならといってハイシーズンなのにいとも簡単に確保してくれました。宮殿内の風景にマッチさせた石造りの建物と庭園が素晴らしく、アルハンブラに来たら必ずしも泊まらなくてもパラドールのレストランで食事するかカフェテリアを利用するのも手だと思います。ホテルといえば、私はグラナダでは通常、アルハンブラ入口を少し下ったところの絶壁に建てられた、部屋から見るグラナダの眺望が素晴らしい4星ホテルAlhambra Palace(アランブラ・パラセ)に宿泊しました。年末にも家族と泊まったことがあり、大晦日は明け方まで続くドンチャン騒ぎのパーティーが懐かしい思い出です。こちらもお勧めです。


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