初めて飼ったジロー(スムーズヘア・フォックステリア)

 スペインにはイスラム教徒と戦った800年近いreconquista(レコンキスタ、国土回復運動)の歴史があるせいか、住居は地方に行っても都市集中型の高層住宅が中心で、とりわけ私たちが住んでいたところは東京でいえば霞ヶ関のようなすぐ近くに経済産業省財務省などがある官庁街でしたので殆どの住居は10階以上の高層住宅、いわゆるマンションでした。それでもレトリーバークラスの大きな犬を飼っているところが多く、そして犬たちはよく躾けられ、リードなして悠々と散歩に出かけ公園で自由に遊ばせるのがごく当たり前でした。犬のウンコをそのまま放置するのが習慣なので通りを歩くときは地面も注意しないといけないのが唯一の問題でしたが。
 下の息子が小学校高学年になったころ、子供たちも少しは面倒を見られるし情操教育上も大いにプラスと考え犬を飼うことにしました。犬種は中型くらいの珍しくて格好がいいものをと思い、昔のビクターレコードの広告に使われていたスムーズヘアのフォックステリアがいいということになりペットショップで手配してもらいました。ペットショップから連絡があり見に行きましたが、赤ちゃんわんこに会うともう決まりのようなものでそのまま引き取り家に連れて帰ってジローと名づけました。
 夫婦どちらも実家では犬を飼っていたことがあるのですが、飼い主としての犬は初めてで、今から思うと犬の飼い方については殆ど知識がなく躾は後手後手で、人には飛びつく、公園で放せば鉄砲玉のようで、とてもリードなしで悠々というわけにはいかず恥ずかしい思いを重ねることになり、少し遅いのですが6ヶ月くらいになってから犬の家庭教師に来てもらうことになりました。先生とジローの最初の出会いはいまでも忘れられません。先生が部屋に入ると、いつものようにジローは甘えて飛びつこうとしましたが、先生は殆ど動かずわからないくらいに軽くひと蹴り、それだけでジローは従順な生徒のように豹変したのです。そのスペイン人先生が使う躾用語がドイツ語にスペイン語が混ざったものだったので、いまでもわが家の犬の躾用語はドイツ語+スペイン語です。先生にはしばらく通ってもらったのですが、結果はあまり成功せず、最後までリードを外すことはできませんでした。
 ジローとはマドリッド郊外の冬山で雪と遊んだり、旅行に連れて行き夕食時ホテルの部屋でお利巧に留守番してくれたり、とにかく遠出するときはいつもいっしょで楽しい思い出がいっぱいありましたが、2年くらい経ったころ日本へ帰国(東京へ転勤)することが決まりました。日本からスペインへは比較的簡単に飼い犬を連れてこられるのですが、日本サイドでの受け入れは検疫のため何ヶ月間も空港施設で足止めされること、更に、帰国子女となる子供たちの教育のため特別な学校に通うことから通学可能な会社の社宅に住むとペット厳禁ということで、悩んだ末、子供たちも含め家族同士の付き合いがあった日本商社の駐在員の家庭に引き取ってもらうことになりました。彼は奥さんがスペイン人なのでその商社の現地法人に転籍しスペインに永住する予定でした。
 ところが、ちょうどその頃から急に後ろ足の動きがおかしくなり、獣医師に診てもらっても原因はわからないまま病状はどんどん進行し数ヶ月のうちに歩けなくなり、後ろ足がまったく動かせず立つこともできなくなりました。最後は排泄もままならない状態となりジロー自身もつらそうで益々症状は悪化する一方でした。獣医師から快復する見込みがないから犬本人のためにも安楽死を勧められ、このような状態では日本への長時間飛行や成田で数ヶ月間の検疫を受けることは不可能で、いよいよ家族が先行帰国する日が接近し、出張で家を空けがちな私一人ではとても世話ができず、本当に辛い選択でしたが子供たちには内緒で獣医師の手で安楽死させることになりました。最後まで病名や症状の病因はわからず、先天的に脊椎に障害があったらしいとの説明だけでしたが、犬は飼い主と別れることを察知して自ら死を選ぶことがあるという話をひとから聞き、まさにそんな悲しいことが現実に起こった思いでした。


【ココのつぶやき】

♪ ジローくん、かわいそうだな、なみだがでそう ♪

♪ だけど、ボクは、おにいちゃんのぶんまであまえてながいきしないとね ♪

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