Cigalas a la plancha(シガーラス・ア・ラ・プランチャ、手長海老の鉄板焼き)

 ビルや道路建設に使われる鉄筋コンクリートの鉄筋を業界用語で単に「丸棒」と呼びますが、スペインでの鉄鋼製品取り扱いの通常8割以上がこの丸棒でした。その取引メーカーは1社が地中海側フランス寄りCataluña(カタルーニャ)地方のBarcelona(バルセロナ)に、2社がビスケー湾側フランス寄りPais vasco(パイス・バスコ、バスク地方)の山の中の町Azpeitia(アスペイティア)とZumárraga(スマラガ)に、そしてもう1社がポルトガルの北、Galicia(ガリシア)地方のel Ferrol(エル・フェロール)に、計4社ありました(Zumárragaの1社はのちに破綻してAzpeitiaの会社が事実上支配)。因みに、Azpeitiaは「イエズス会初代総長を務めた宣教師イグナチウス・ロヨラの出身地」と以前に紹介しましたが、el Ferrolはスペイン市民戦争後の独裁者フランコ将軍の出身地です。
 という訳でスペイン国内での出張はこの3つの地方に集中しました。こちらから出張していくときは現地でメーカー側に食事をご馳走になり、向こうがマドリッドに出張してくるときはこちらが食事をご馳走するという関係で、それぞれのメーカーに平均3ヶ月に1度かそれ以上、最低年4回、駐在10年で40回以上出張し、向こうから来ることもあったので食べてばかりの感じですが、いずれのメーカーとも取引量が最大の期間が長かったので非常に親密なamigosの関係が出来上がっていきました。これは私の有能なスペイン人スタッフによるところが絶大でしたが、彼は同じ期間で私の3倍以上現地へ出張していました。Azpeitiaのメーカーは後にこの業界では北部スペインの雄に急成長しましたが、私がマドリッドに着任した当初はバスクの山の中の小さなメーカーで、それまで取引関係が殆どなかったことから何度行っても相手にされない状態が続きました。田舎の人は保守的で取っつきが悪いがひとたび信頼すると他が入り込めないほど深い関係になるといいますが、まさにそれが現実となりました。一度まとまった規模の取引が成立し、その契約が問題なく履行されると両社の関係は急速に深まりました。
 前置きが長くなりましたが、cigalasと言えば海産物、もちろんガリシア地方の産物です。El Ferrolへ出張するとたいてい二代目オーナーのEnrique(エンリケ)が応対してくれ、工場からさほど遠くないところのいつも同じ海産物レストランで昼食をご馳走になりました。店に入ると、人数が3〜4人以上いても、彼はいつも、「最初につまみとして“un poquito(ほんの少し)”cigalasを持ってきてくれ」、と注文するのが慣わしでした。そうすると、胴体部分で10〜15cm程度の小振りなcigalasが、背中に切れ目を入れ荒塩を振り、バージンオイルを厚く敷いた鉄板の上で焼かれ、できあがりにたっぷりレモン汁がかけられたものが山のように盛られて出てきました。甘くて柔らかい歯ごたえのcigalasの身が塩味とレモンのすっぱさにうまく調和し、バージンオイルで焦げた殻の香りも加わって絶妙の味わいとなり、食べても食べてもやめられず、取り皿が剥いた殻で山のようになるのが常でした。海産物は、調理はシンプルでも新鮮さが命、私たちが行くことはいつも予めわかっていたので、産地(水揚げ地)でもあり、事前にレストランに連絡して特別にいい素材を仕入れさせていたのかも知れません。私は一度家族をつれてガリシア地方を旅行したとき、Enriqueたちには内緒でこのレストランへ行き、彼に倣って「cigalasを“un poquito”」と注文すると、期待に反し「どのくらいか」と聞き直されてしまいました。一応、夫婦と子供2人なので3人前(tres raciones)と応えましたが、大した量は出て来ず、鮮度も少し違うような気がしてがっかりしたことがありました。
 Cigalasとは無関係の話ですが、この家族旅行の時、el Ferrolで宿泊したParador nacional(パラドール・ナシオナール、国営の観光ホテル)になんとあのReal Madrid(レアル・マドリッド)の選手団も泊まっていたのです。当時マドリッドではレアル・マドリッドのホーム・スタジアムSantiago Bernabéu(サンティアゴ・ベルナベウ)から100メートルとないところに住んでいて、試合のときは大勢のサポーターが結集、通行制限と溢れる重複駐車、夜中まで続く歓声、まさに盛り上がりの中の生活環境であったのですが、実は、私たち、スペインから帰国してJリーグが始まるまでサッカーに対する関心があまりなく、この目立った集団が誰なのかわからなかったのです。El Ferrolのパラドールの食堂ではむしろ小さな子供連れの日本人家族の方が珍しい存在だったのか、チームの有名選手達の方から声をかけられる始末でした。
 スペインも日本と同じで海産物のいい素材は殆ど産地よりもマドリッドバルセロナへ出荷されるみたいですが、Enriqueが注文してくれたcigalasのあの満足感をマドリッドで味わうことはなかったです。遠く離れた日本で本当に旨いcigalasに出会うのは難しいかもしれませんが、東京では外苑前Sabatiniのような高級イタリアレストランはscampi(スカンピ、単数形はscampo)の名でメニューに載せていて、値段が張るもそこそこ美味しくいただいたことがあります。もちろん、会社勘定のビジネスディナーでしたが。