ドン・キホーテを書いたセルバンテスという人物とそのドラマチックな生涯

 日本人の間でスペインというと、今年は南アフリカのワールドカップで初優勝したスペイン代表(la selección española)が話題になりましたが、通常、先ず挙がるのがフラメンコと闘牛で、その次はというと、バレンシア料理のパエジャ、あるいは、「ドン・キホーテ」ではないでしょうか。その作者Miguel de Cervantes Saavedra(ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドゥラ、1547年−1616年)は、私の大好きな1571年のレパント沖海戦にも従軍しますが虜囚や投獄を何度も経験する数奇な生涯を送りました。マドリッドの王宮に近いplaza de España(プラサ・デ・エスパニャ、スペイン広場)へ行くと、そこには騎乗のドン・キホーテと駄馬に乗った従士サンチョ・パンサ、そしてそれをうしろから見おろす立派なセルバンテスの像があります。
 セルバンテスが生まれたアルカラ・デ・エナーレスというマドリッド西方約30キロの、私たちも車でよく訪れた小さな町はちょっと変わった歴史を持っています。シスネロスというカスティージャ・アラゴン連合王国スペイン王国)の摂政も務めた実力枢機卿の発案で町全体が大学都市として計画され、1499年、ローマ教皇の承認を受けサラマンカ大学に次いで古い歴史を持つコンプルテンセ大学が誕生しました。コンプルテンセとはラテン語で「二つの川の合流」、つまり町の名のエナーレス川を指します。このコンプルテンセ大学が1836年マドリッドに移転しマドリッド大学となるのです。
 つまりセルバンテスは当時の学園都市でhidalgo(イダルゴ、下級貴族)家の次男として生まれますが、一家は借金取りに追われ幼年時代からバジャドリッド、コルドバマドリッドと転々と移り住みます。そんな事情で彼はまともな教育は受けられなかったのですが、少年時代から大の読書好きで、1566年、18歳でマドリッドのホアン・ロペス・デ・オジョスという人文学者の塾に通います。
 しかし、1569年、セルバンテスは当時スペイン王国支配下にあったナポリへ行きスペイン海軍に入隊、あのレパント沖海戦に従軍して被弾し左腕の自由を失います。その4年後、ナポリから本国に帰還する途中、スペインのコスタ・ブラバの沖合いまで来て海賊に襲われ捕虜となってアルジェリアのアルジェで5年間虜囚生活を送ることになります。この間、捕虜を扇動して4回も脱出を試みことごとく失敗しますが何とか生き延びたという強靭な精神と意志をもつ兵(つわもの)でした。
 最初の脱出は、スペインに近い西方のオランまで先導する予定だった案内役のモーロ人(北西アフリカのイスラム教徒)が初日で逃げ出し捕虜たちはアルジェへ戻るしかなく、発見されて捕まると鎖につながれより厳しい監視を受けることになります。2度目はセルバンテスの弟ロドリゴが手配してくれたガレリー船が浜辺に2度接近を試みますが裏切り者がでて最終的に拿捕され、浜辺の洞窟に隠れていた捕虜たちは発見されて連れ戻されます。セルバンテスは自分が唯一の首謀者で他の捕虜たちに責任がないことを主張、トイレに鎖でつながれて5ヶ月間も閉じ込められます。3度目は陸路でオランまでたどり着きますが、救援要請と計画を書いた手紙を持たせスペインへさし向けたモーロ人の使いが捕まり、結局、連れ戻されます。このときは2000回棒打ちの刑を言い渡されますが、彼のためにとりなす者が大勢いて刑は実行されませんでした。最後の脱出の試みは、アルジェにいたバレンシアの商人が大金を提供してくれ、セルバンテスはそれで60人の捕虜を運べるフリゲート船を手配しあと一歩のところまでいきましたが、僅かな金のために脱出予定の捕虜一人が裏切り失敗に終わります。ここでもセルバンテスは自分が唯一の責任者であることを主張します。
 その結果、セルバンテスは脱出不可能と言われたコンスタンティノポリスイスタンブール)の牢獄へ移送されることになりましたが、その船が出る直前、捕虜交換も含め捕虜救出事業に従事していたキリスト教の慈善団体、三位一体会の神父がキリスト教徒の商人から不足の釈放金の提供を得ることに成功、不運続きだったセルバンテスはこのときようやく救出されます。
 1580年にセルバンテスは虜囚生活から救出されたのですが、その後も、借金生活から抜け出せず、セビージャへ移り住み海軍の食料調達係の職を得て教会から強引に徴発したとして投獄され、徴税吏の職を得て集めた税金がそれを預けた銀行の倒産で失い公金横領と見なされて再度投獄されます。このときのセビージャ監獄で構想したといわれる小説「ドン・キホーテ」は1605年に出版されたちまち大評判となりますが、その版権を安価に売り渡したため彼の困窮生活は変わらず、後編が1615年に出版されたときも大評判でしたが翌1516年貧しいまま生涯を終えます。
 聖書の次に出版され世界的なベストセラーでロングセラー作品の作者となったセルバンテスがこれだけ不運な人生を歩まなければならなかったのは神様の皮肉でしょうか。幼年時代から借金に追われる家庭に育ち、画期的な国家の大勝利となったレパント沖海戦に参加したものの負傷して左腕の自由を失い、祖国まであと一歩のところで海賊に捕まり捕囚生活を強いられ、4度も脱出を試みてことごとく失敗し、職務に忠実で投獄され、公金横領という冤罪でも投獄され、自分の作品が大ヒットしても貧窮生活から抜け出せなかったのです。そして、小説「ドン・キホーテ」が後世これほどまでに評価されることになるとは知らずにこの世を去ったのですから。

【ココのつぶやき】

♪ へへっ、あたまがおおきすぎてみえませんが、これでもこんばんぼうねんかいにつれていってもらうので、おめかししてくびにあかいリボンもつけてもらったんだっ ♪
♪ でも、はずかしいから、したがでちゃった ♪


♪ 下のビションフリーゼをクリックしてね! ♪
にほんブログ村 犬ブログ ビションフリーゼへ
にほんブログ村